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「コールド・ウォー 香港警察 二つの正義」「インファナル・アフェア」との比較とラストの2冊の本の意味

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私が運営して来た4つのブログのうち、本ブログしか読まないネット・ユーザーには唐突な印象を与えるかもしれないが、9月26日以来、7週間ぶりのアップとなり、昨年2月に開設してからちょうど400本目となるこの記事をもって、本ブログは終結することにした。

今月2日に開設以来の延べアクセス数が100万PV、翌3日には延べ訪問者数が50万人を超えたことも、いい潮時だと決断する要因になった。
他の3つのブログも順次終結させるが、その理由は、私の年齢的な要因などにより、これまでのような記事の書き方でブログを運営することが、心身両面で無理になったためである。

先日、この終結の方針を決めたものの、あと1本、本ブログの本来の狙いに相応しいテーマを見出せなくて、なかなか記事を書き出すことができなかったが、今週、久しぶりに面白い香港映画である「コールド・ウォー 香港警察 二つの正義」を観たことから、この作品を素材に最後の記事を掲載することにしたい。
と言っても、エンドロールを含めてわすが102分の上映時間の中で、ストーリー展開が二転三転どころか四転五転し、伏線であることに気づかないまま終わるような設定が山盛りで、かつ、明確な答えが示されない幾つもの謎も残る本作を、1本の記事で解説することは不可能である。

この記事では、本作のチラシの裏面や予告編の冒頭で「『インファナル・アフェア』以来の傑作」と謳われた惹句が妥当なのかを前触りとして書いた上で、映画の原題である「寒戦」=コールド・ウォーの意味を明らかにしつつ、「インファナル・アフェア」と同様、第1作の撮影中に製作が具体化した続編の内容を規定すると予想される、ラストの2つのシーンにおいて相次いで現れる2人のメイン・キャラクターが愛読する外国人の著作の意味を分析することにしたい。

この記事に続いて書く第1ブログ「シネマナビ」の記事と併せてお読み戴き、なかなか映画館で観ることができない読者がDVDで鑑賞する際の参考として戴きたい。(ちなみにプロの映画評論家も含めて、本作について具体的にネタバレを行っている記事は、ほとんどないと思う。)

【「インファナル・フェア」との共通点と相違点】
2002年と2003年のたった2ヵ年で3部作として製作された「インファナル・フェア」シリーズが、香港映画に留まらず、日本映画を含めたアジア映画の最高のシリーズ作品であり、屈指の警察物映画であることは間違いない。
それに対して、「コールド・ウォー」の場合は、3部作として作られるかどうかはまだ不明であり、脚本も担当するリョン・ロクマンとサニー・ルクの2人の共同監督は続編の脚本づくりに時間を掛けると語っているので、3部作化される場合、5年程度のプロジェクトになるのではないか。

イギリスから中国に施政権が返還されたことに伴い、香港映画界としては、中国本土もマーケットとして製作資金の回収を図ろうとすると、映画のテーマやストーリーの設定に制約を受けることになった。
それは、香港映画だけの問題ではなく、資金力のあるハリウッド映画でも、「アイアンマン」シリーズのような大ヒットですら中国の観客向けの別バージョンを作る有様である。
このため、「インファナル・フェア」の場合、マフィア出身の主人公だけが生き残って、香港警察を牛耳るようなストーリー展開であったため、中国本土では上映されなかった。

それに対して本作は、香港だけでなく中国でも大ヒットして、10億円という破格の製作費が回収されたが、それは香港警察内部の対立や腐敗を扱いながら、最後は有能な警察官僚が勝利を収めるという結末になっているからだろう。(その勝ち組となる副長官が、現場の経験が豊富な叩き上げの方ではなく、現場を知らないエリートの方であったことも、共産党幹部にとって望ましいオチであったのかと勘繰りたくなる。)
問題は、続編においても、こうした権力側から見て都合の良いオチが用意されるかだ。

話を戻すと、「インファナル・フェア」シリーズは、容貌と置かれた立場は二卵性双生児と言っていいラウとヤンという同年配の2人の男が主人公のドラマで、第1作のラストで権力側の潜入捜査官であるトニー・レオンが演じたヤンの方が殺されてしまった。
それで1つの完結した物語のように見えたが、第2作において2人の過去が語られ、現在のシーンと往還することで、第1作では伏線であることが分からなかったシーンの意味が次々と明らかになることにより、情感溢れる人間ドラマとして観客の心に強く響いた。

それに対して、「コールド・ウォー」の場合、「インファナル・アフェア」と同様、第1作の原題がそのまま踏襲され、続編であることを示す?や?が付されるかどかうは未定だ。
仮に「コールド・ウォー」の原題である「寒戦」が継承されると、やはりこのタイトルに深い意味があったことが裏付けられると言える。

そして、本作での主人公は、「インファナル・アフェア」と同様、リーとラウいう2人の男が主人公であると言っても、共に警察官で地位がナンバー2の立場であることだけが同じだ。(下の画像参照)
2人の年齢は少し離れており、警察官としてのキャリアだけでなく、生き方や考え方も対照的である。
子供も、片方は同じ警察官になった一人息子で、もう一方はまだ幼い一人娘だ。
この最後の点が、後述のように、続編において一層意味を持つことになる。

さらに、本作では続編においても、同一人物が主人公であるかどうか分からない。
2人の男が対立する構図は継承されても、リーの息子とラウの後継者と目される若者に世代代わりが行われる可能性が高く、リーとラウはサポート役に回るかもしれないからだ。(この点、「インファナル・アフェア」の第2作も、青年時代のラウとヤンが主人公と言えるので、実質、世代代わりと言えなくはない。)
加えて「インファナル・アフェア」では、主人公2人を逆の立場の組織(警察とマフィア)にそれぞれ送り込んだフィクサー的な人物が最初から明かされるのに対して、本作の場合、警察内で陰謀の中心となった人物を操った黒幕の正体は隠されたままだし、第1作で死んでしまう人間を含めて、誰が陰謀に加担したのかの全容は明確にされない。

一方、スケジュールの都合で特別出演に留まったが、「インファナル・アフェア」でラウを演じたアンディ・ラウが、本作では香港警察を統括する政府の幹部として登場し、香港の街並みの景観が生かされた映画になっていること、ビルの屋上と超高層ビルの展望フロアの違いはあるが香港を見下ろす形で2人の男が対峙するシーンがクライマックスの1つで登場すること、重要人物の1人が車に乗ろうとするシーンで突然爆死すること、主人公の1人が手にする封筒がストーリー展開上、重要な小道具になっていることなど、本作を観ていると、「インファナル・アフェア」を思い出さざるを得ないことも事実である。

だが、オープニング早々から爆破シーンやカーチェイス、さらには銃撃戦が繰り広げられる本作のウリは何と言ってもド派手なアクションであり、102分というまったく同じ上映時間で「動」よりも「静」を基調に緊迫感を持って進む「インファナル・アフェア」シリーズの第1作とでは、テイストが大きく異なる。

私が信頼する映画評論も書いているノンフィクション作家の沢木耕太郎さんが、朝日新聞に不定期で寄稿している「銀の街から」の最新回「『コールド・ウォー』緻密に練られた謎が疾走」(新聞掲載は10月25日(金)朝刊、朝日新聞デジタル掲載は11月6日(水)。→ネット記事とのリンクは、こちら)において、本作の監督であるロクマンが美術担当、ルクが助監督の出身であることから、撮影監督出身のヤン・デ・ポンになぞらえて「これは『スピード』と同じように続編が作られることになるだろう。だが、その続編は、凡作だった『スピード2』とは異なり、前作を凌駕する、さらに大きなうねりを持った傑作に成長するような予感がする」と締め括っていることは正鵠を得ているが、前述のように「『インファナル・アフェア』以来の傑作」ではあっても、「並ぶ傑作」でないだけでなく、「迫る傑作」かどうかも続編を観ない限り評価できない。



【本作の原題の意味】
本作の原題は「寒戦」だが、邦題では英語の「コールド・ウォー」を使用した。
副題として付けられた「香港警察 二つの正義」の適否については、第1ブログの記事で取り上げるが、「コールド・ウォー」は日本では「冷戦」の意味で使われることから、イメージがかなり異なる。

日本語では、「寒戦を覚える」という用例があり、「寒さに身ぶるいすること」だが、原題の「寒戦」の意味も、映画での季節設定が12月であることから、作戦のコードネームの名付け親である香港警察の「行動班」を所管するレオン・カーファイが演じる副長官のM・B・リーは、単に「冬の戦い」という意味で使用したに過ぎないのかもしれない。
捜査や逮捕、突撃の部門を預かる彼にとって、警察の仲間の奪還作戦は、まさに犯人=敵との戦争であった。

だが、なぜか内勤の「管理班」を所管するもう1人のアーロン・クォックが演じる副長官であるショーン・ラウは、この命名に違和感を持つ。
前記の沢木さんが映画評の中で書いている「観客の意識が一瞬そこで立ち止まり、「あれっ?」と思わせる要素」に該当するかどうかは不明だが、私には引っ掛かった場面の1つだ。
そして、映画を観終った後、沢木さんが主張する「観客に、そうかあのとき自分が『おやっ?』と感じたのは正しかったのだと思わせることができた」と言うことができず、曖昧なまま終わる伏線の1つでもある。

それでもヒントになると思われるのが、ラウが引用するチャーチルの言葉だ。
前述の後半に登場する超高層ビルの展望フロアのシーンで、彼は「すべての戦争は必要でない」と言うが、叩き上げのリーに対してインテリのラウは、イギリスの統治下にあって英語に堪能で英国式の教育を受けたことは想像に難くないので、チャーチルのこの言葉が警察官としての座右の銘であったのだろう。

ちなみに「コールド・ウォー・ウィッチ」(冷戦の魔女)という呼び名は、「鉄の女」の愛称で知られる英国の元首相マーガット・サッチャーに与えられたものらしい。
フォークランド紛争で男勝りの決断を行った彼女に相応しいネーミングかどうか私には分からないが、少なくともイギリス議会の運営に当たってイデオロギー論争に長けた宰相であったと言える。
それに対してチャーチルは、第2次世界大戦後の戦勝国であった米ソが対立することになった「冷戦時代」をリードした政治家ではなかった。

当初は対立したリーとラウは、人質となった警察官たちを奪還した時点で和解し、ラストでリーは、長官と共に早期退職して、後任の長官の座を香港警察始まって以来の最年少での就任となるラウに譲る。
警察本部のビルを去ったリーを追い駆けた来たラウに対して、彼は「上司は部下を追ってはいけない」と諭し、「チャーチルの言葉の理解の仕方が間違っている」と指摘するのだ。
「コールド・ウォー」作戦は、確かに第1作では警察の威信を保持する上で「意味のある必要な戦争」だったが、続編においてもそうであるかどうかは不明であり、「コールド・ウォー」とチャーチルの言葉の真意が明かされるのは持越しになったと私は考えている。



【ラスト・シーンで登場する2冊の本の意味】
通常、映画のネタバレと言えば、ラスト・シーンの意味を明かすことだ。
本作の場合、それが続編に繋がっているだけに、ますますネタバレとしての重要性を持つ。
だが、前述のようにストーリーが四転五転し、冒頭の何気ないニュースの声から伏線が始まっている本作の場合、どのシーンが伏線であり、それが後のシーンでどう回収されたのか、それとも結論が曖昧なまま終わったのかを峻別して説明することこそ、真のネタバレである。

だが、プロの映画評論家でも、そんな解説を完璧に行える者はいない。
「これから観る読者の楽しみを奪わないようにネタバレを避ける」という言い訳の下、自らの認識を具体的に示さずに読者の自己責任に委ねる解説者ばかりである。

上述の沢木さんの言い方も、その一種と言えるが良心的な方であり、沢木さんと違って映画評論が本職である前田有一氏が自身の「超映画批評」サイトにおいて、本作の解説記事のタイトルを「華やかな一般向けアクション映画」とし、「登場人物はよく描き分けられているし、ストーリーも分かりやすい」とか「映画としてはごく普通の大衆向け刑事ドラマ」と書いているのは問題外の論評であり、何も理解していないことを示しているに過ぎない。
私の場合は、伏線の読み解き方の問題については、不十分ではあるが映画評論家たちよりも具体的に第1ブログで書くつもりである。

さて、問題のラスト・シーンの意味だが、香港警察の長官となったラウは、公用車の後部座席に座って架橋を通過している。
橋の構造から分かるが、2009年12月に開通したランドラー海峡に架かるストーンカッターズ橋だろう。
発注者はアンディ・ラウが演じたフィリップ・ロクが所属する香港特別行政区政府であり、日本の企業3社が参画するジョイント・ベンチャーが施工した世界最大級の斜張橋である。

その車の中でラウ新長官が読んでいるのは、チャーチルの回顧録だ。
リーに認識間違いを指摘されたから、もう一度、愛読書を読み直しているのではないか。
その結果、かつてのライバルが命名した「コールド・ウォー」に納得するのだろうか。
その時、彼のスマホに通話が入るが、相手は今回の警官拉致事件の黒幕だった。
敵はラウの妻と娘を誘拐し、収監されている1人の男の釈放を求める。

続いてエンドロール直前に登場するのは香港の刑務所の一室だ。
そこに収監されているのは、射殺されたと思ったリーの息子ジョーだ。(上の画像参照)
彼は映画の冒頭で拉致された緊急部隊の5名の隊員の1人だった。
不敵な笑みすら浮かべる彼が獄中で読んでいる本のタイトルが映る。
「シャドウ・ウォリアー」と読める。

この本は、ネットで検索しても解説している記事がヒットしないが、オーストラリアの特殊部隊出身で、精神に支障をきたして殺人兵器化したデヴィッド・エヴェレットの自伝とのことだ。
それは、ジョーにとって理想とする人物の生き方を学ぶ書なのだろう。
陰謀の黒幕が交換要員として指名したのは、このジョーだった。
出獄した彼は、黒幕の指示を受けて、今度はどんな事件を画策するのか。

その事件に協力する警察関係者は誰なのか。
第1作では、拉致された息子を取り戻すために強引な作戦を進めた父のリーは、続編ではどう関与するのか。
それに対して、ラウはどう立ち向かうのか。

沢木さんが語ったとおり「大きなうねりを持った傑作に成長」できるのか、あるいは週刊文春の「シネマチャート」の評者の1人である作家の斎藤綾子さんが言うように「壮大な事件の導入部」なのかは、刮目して続編を待つしかないだろう。(「週刊文春WEB」にアップされている記事を参照されたい。リンクは、こちら)

下の画像は、本作のチラシだが、メイン・キャラクター4人のうち1人だけ差し替えられている同じデザインの別バージョンのチラシとパンフレットは、第1ブログの記事の方に掲載します。


ボーナストラック〜映画「ストロベリーナイト」地上波初放送!姫川班最後の事件を楽しみ尽くす記事リスト

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私が併行して運営してきた4つのブログのうち、昨年11月15日に最初に終結させたのが本ブログだが、その週の延べアクセス数が12,487PVであったのに対して、先日、TBS系でスペシャルドラマ「ダブルフェイス」が再放送されたことなどにより、ネットユーザーの本ブログの過去記事へのニーズは衰えることなく、先週の延べアクセス数は17,689PVと高水準を維持している。

そうした中で、既に一昨日の時点でアクセスが増えているのが、映画「ストロベリーナイト」に関する記事だ。
フジテレビのスペシャル番組の看板枠である「土曜プレミア」(→公式ページは、こちら)において、今週末の12日の夜9時から11時35分までの拡大版で映画「ストロベリーナイト」が地上波初放送されることが、早くも影響しているのだろう。

昨年1月26日に劇場公開されたこの映画のブルーレイ/DVDは半年後の7月17日にリリースされているが、第3ブログ「ナイトホークナビ」の「ブルーレイ/DVD情報」の記事として取り上げなかった。
その理由は、本ブログで予定していた記事をすべて書き上げることができなかったからだが、それでも以下にリストアップしたように、15本もの記事(特番の放送を紹介しただけの1本を除く)を作成・掲載できたことは、他のブログの及ぶところではないと考えている。

だが、まだ残されている映画の公式サイト(→リンクは、こちら)を昨日、再チェックしたところ、「ABOUT THE MOVIE(映画情報)」のページは、?イントロダクション、?ストーリー、?キャスト、?インフォメーションだけで、公開時には掲載されていた肝心のプロダクション・ノートなどが削除されており、撮影の裏話などを知ることができない。

よって本ブログにおいて、これらの点も含めてディープに分析・解説した記事の総覧を整理し、ブログ終結後のボーナストラックとして掲載することは十分意味があるだろう。(その結果、各ページのトップに表示されている広告を60日間消すという副次的な効果もある。)
なにせ、姫川玲子の上司である今泉係長が頭に怪我をして入院し、保護用のネットを被っているという設定にした理由まで明かしているのだから。(下の画像。今泉がベッドの上で手にしている本にも要注目!8の記事でネタバレ)



映画「ストロベリーナイト」に関する最初の記事を本ブログにアップしたのは、公開日の何と2ヵ月近くも前の2012年11月27日のことだった。⇒以下のリストの1参照
これは、新年早々に公開される日本映画の注目作である3作、すなわち、「東京家族」、「ストロベリーナイト」、「つやのよる」の先取り情報を記事化したものだった。

そして、年末から<映画「ストロベリーナイト」特報>シリーズとして、公開までに8本の詳細かつ多角的な事前分析記事を書いた。⇒以下のリストの2〜9参照
これは、今回、読者の方たちがテレビの初放送で映画をご覧になる前に読まれても、大いに役に立つ内容の記事だと確信している。

特にBSフジで放送された特番の内容を踏まえて書いた<特番で紹介された「姫川班最後の事件」の鑑賞ポイントを読み解く>の3部作は最低限、鑑賞前にお読み戴きたい。⇒以下のリストの5・6・9参照
さらに、公開翌日の1月27日に<映画「ストロベリーナイト」3部作(本編&SPドラマ)の理解・納得のためには、これだけの記事が必要だ!>を書いたが、そこで列挙した項目の記事を書き切ることができなかったのが残念だ。⇒以下のリストの10参照

このうち、?・?・?に関しては、<映画「ストロベリーナイト」3部作完全解読>シリーズとして部分的に記事化したが、例えば、ドラマ版から映画版への展開を主導したスタッフ・サイドの3人のキーパーソン、すなわちフジテレビのプロデューサー・成河広明さん、脚本家の龍居由佳里さん、監督の佐藤祐市さんのうち、佐藤さんについては記事化できなかった。⇒以下のリストの11・13参照

だが、第3ブログにおいて、「映画の中の雨傘」をテーマに本作における雨傘の意味について分析したほか、第4ブログ「アヤノミックス」で1年後に完結させた「新しい帽子を買わなくちゃ」でカンゴが描いた絵の謎のネタバレを行っている。⇒以下のリストの14参照
加えて、本作のラストシーンのロケ地についても、第3ブログにおいて大沢たかおさんの主演作である「藁の楯」などと共に解説することができた。⇒以下のリストの15参照(「大沢たかおさんの出演映画は、3作連続で名古屋市の官公庁街で撮影」の項)

以下のリストでは記事中の見出しも極力収録したので、読者が知りたい情報の当たりをつけるのに役立つと思う。
それでは連続ドラマの内容まで言及しているこれらの記事で、今回の地上波初放送の機会に「姫川班最後の事件」を楽しみ尽してください。



1.「ストロベリーナイト」 テーマとキャストの魅力・バラエティで群を抜く1月公開の日本映画はこの3本=中編(2012年11月27日掲載)→リンクは、こちら

2.映画「ストロベリーナイト」特報?=ヒロイン・姫川玲子がエルメスの超高級バッグを買った理由が遂に判明!(同年12月27日掲載)→リンクは、こちら
★ポイント?=遂に判明!玲子が赤いエルメスを愛用している理由
★ポイント?=「純と愛」のヒロインの父・狩野善行の癖は、ガンテツの影響か!?

3.映画「ストロベリーナイト」特報?=警視庁捜査一課の新キャラと雨が降らない唯一のシーンに注目せよ!(同年12月30日掲載)→リンクは、こちら
★ポイント?=警察組織の階級社会ぶりを描くドラマのキーパーソンとして2人の幹部が新キャラとして登場!
★ポイント?=やはり「インビジブルレイン」が映画の結末と玲子の心情に対する共感のキーワードとなる!

4.映画「ストロベリーナイト」特報?=唯一の晴れのシーンを推理させる公式サイトの決定的な記事と画像(2013年1月9日掲載)→リンクは、こちら

5.映画「ストロベリーナイト」特報?=特番で紹介された「姫川班最後の事件」の鑑賞ポイントを読み解く・前編(同年1月12日掲載)→リンクは、こちら
?警視庁の刑事たちのキャラ設定
?クランクインのシーン〜撮影1日目

6.映画「ストロベリーナイト」特報?=特番で紹介された「姫川班最後の事件」の鑑賞ポイントを読み解く・中編(同年1月13日掲載)→リンクは、こちら
?第1の殺人事件〜被害者・小林充
?撮影7日目
?撮影18日目
?登場人物にとっての雨の意味

7.映画「ストロベリーナイト」特報?=女性ファンと姫川班の全員から愛される菊田=西島秀俊の5つの秘密(同年1月18日掲載)→リンクは、こちら
★菊田=西島秀俊の秘密?:"スイーツ男子"の西島さんが失敗したヨーロッパ土産の菓子とは!?
★菊田=西島秀俊の秘密?:撮影現場では「いいなあ!」が西島さんの口癖!
★菊田=西島秀俊の秘密?:「竹内さんは綺麗過ぎる」と讃えるキャストたちの中で西島さんの想いは?
★菊田=西島秀俊の秘密?:役の上でも現場でも玲子=竹内さんにイジられる菊田=西島さん!?
★菊田=西島秀俊の秘密?:現場でのスタッフとの会話が西島さんにとっての役づくりの栄養源!

8.映画「ストロベリーナイト」特報?=雨傘など本作を深く楽しむための5つの小道具に隠された意味を読み解く(同年1月19日掲載)→リンクは、こちら
★キー・アイテム?=キャラクターの違いを表す雨傘のデザインと色に注目せよ!
★キーアイテム?=最強の極道に相応しい牧田の刺青に注目せよ!
★キーアイテム?&?=今岡の頭部のネットと愛読書に注目せよ!
★キーアイテム?=井岡が菊田に差し入れる物に注目せよ!

9.映画「ストロベリーナイト」特報?=特番で紹介された「姫川班最後の事件」の鑑賞ポイントを読み解く・後編(同年1月21日掲載)→リンクは、こちら
?撮影34日目
?菊田が牧田と対峙する場面の軍配はどちらに
?撮影50日目〜クランクアップ

10.映画「ストロベリーナイト」3部作(本編&SPドラマ)の理解・納得のためには、これだけの記事が必要だ!(同年1月27日掲載)→リンクは、こちら  
?首謀者であるプロデューサー・成河広明さんが映画の製作に向けて仕掛けたことは何かを見極める。
?玲子と牧田の男女関係を除く、映画の様々な設定の分かり難い点について原作の設定との違いにも触れながら具体的に解説し、その中で「特報」で書いたことの訂正や補足も行う。
?玲子と捜一のライバルや班のメンバーとの関係が映画版でどう変わり、今後、どうなっていくのかを分析する。
?玲子にとって"インビジブルレイン"の意味は何かを考える。
?映画をより深く理解するための小道具やロケ地、見せ場の解説を行う。

11.映画「ストロベリーナイト」3部作完全解読?=プロデューサー主導の製作は最後の一手でミスを犯したか?(同年1月28日掲載)→リンクは、こちら
?日本映画界における映画プロデューサーと成河さんの経歴
?連続ドラマの撮影前に、「インビジブルレイン」の牧田役は大沢さんに決まっていた
?映画のキーとなる2大要素(原作とは異なる全編で雨が降るという設定と玲子が牧田と結ばれるという設定)も、プロデューサーが決めた
?車中ラブシーンの改変は、原作者の懸念を払拭できず、それ以上の悪い副作用を生んでしまった

12.映画「ストロベリーナイト」3部作完全解読?=玲子という名前の3人の女性と関わった刑事たちは不幸か?(同年1月29日掲載)→リンクは、こちら
?姫川玲子の親は娘になぜ「玲子」と付けたか?
?ノリ(姫川班の葉山則之)にとっての玲子はトラウマの女性!
?"玲子"命の井岡にとって"低嶺の花"の玲子ちゃんとは?

13.映画「ストロベリーナイト」3部作完全解読?=連ドラの冒頭とラストで仕掛けた映画を予告する脚本家の狙い(同年2月6日掲載)→リンクは、こちら
?映画「ストロベリーナイト」の興行成績〜20億円前後のスマッシュ・ヒットに止まるか?
?ヒロインのキャラ造形の決め手となった高級バッグとヒールの高い靴!
?映画の中でエルメスのバッグの秘密はどう語られたか?
?玲子と菊田の擦れ違い、お互いが理解し合える相手でないことは連ドラの最後で予告されていた!



14.「雨に唄えば」「シェルブールの雨傘」から「ストロベリーナイト」まで−雨傘はどう使われ、雨傘で守れないものとは?(同年1月19日掲載)→リンクは、こちら

15.「藁の楯 わらのたて」 空港・高速道路・港湾・官庁街がセットで揃っている東海3県で集中撮影して撮影日数と製作コストを圧縮(同年5月7日掲載)→リンクは、こちら


※ お断り
今朝(4月9日)、この記事に対する読者の反応を知るために、キーワード検索(「ストロベリーナイト 地上波初放送」)を行ったところ、第1ブログに<映画「ストロベリーナイト」をソフトやBS・地上波でご覧になる際に参考になる解説記事15本のリスト>(→リンクは、こちら)をアップしていたことに気づいた。
事前に第1ブログの「DVD情報」と第3ブログの「ブルーレイ/DVD情報」のカテゴリー・リストをチェックして、「ストロベリーナイト」について書いた記事がなく、この「ワンワードINDEX」のカテゴリーで書いていた記事のことも失念していた。
こちらの記事は昨年7月20日にアップしたものであり、7月17日にリリースされたブルーレイ/DVDに収録された特典映像や音声解説が物足りないものであったことを指摘したのだが、第2ブログと第3ブログに掲載した15本の記事のリンク・リストは共通している。
あくまでも私の記憶が欠落していたことが原因であり、自分の過去記事のコピペや使い回しでなく、また今回の地上波初放送を観る前に参考にして戴く記事としては、本ブログの記事の方がベターだと思うので、このまま掲載を続けることとしたい。

本日、ライブドア・サイトに新ブログ開設!

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最後の記事を書いた後、アクセス数が激減した第4ブログ「一語一恵」(綾野剛サポートブログ)に対して、本ブログは、4月12日(土)夜に映画「ストロベーリーナイト」が地上波初放送されたことに伴い、同日7,554PV、翌日8,103PVと、それまでの最高アクセス数の2倍という新記録を打ち立てた。
お陰で、実に昨年11月15日の新規記事の停止から4ヵ月後に、第1ブログ「CinemaNavi21」のアクセス数を初めて上回ることができた。

こういうことがあるからブログの運営は面白いのだが、その後3月23日までに,本ブログに続き、第3ブログの「銀幕に映る森を翔べ」、第4ブログ、さらには第1ブログを終結させることができた。
それからほぼ40日、遂に初めて利用することになったライブドア・サイトにおいて新ブログを本日深夜に開設することができたので、本ブログの読者の皆さんにも報告させて戴くことにしたい。

まず第1ブログに、新ブログのコンセプトなどのほか、さらに幅広いジャンルをカバーすることになる記事の内容の一端を紹介したが(→リンクは、こちら)、それとは重複しない形で、本ブログの過去記事と関連する事項にも触れつつ新ブログでの新シリーズを紹介する。

前置きとして、第1ブログと重複するが、新ブログで取り扱う記事の内容はこれまでの4つのブログを足したよりも幅広いが、対象の方は絞り込まれており、すべての記事の内容が繋がるようになっている。
その繋がりとなるキーワードは、"美しいもの(人・場所・音・記憶など)への憧れとノスタルジー"であり、根底には「されど愛」という想いがある。

ここからは違う話になるが、ある映画と別の映画、ある映画とある音楽、ある俳優の発言とその俳優とは無縁の映画の中でのキャラクターの台詞などを結び付け、映画や音楽、俳優に対する認識を一変させるという試みを新ブログでは重視していきたい。

これら3つの繋がりのすべてを示す例として最初に取り上げる映画が、1990年代に"ラブコメの女王"として君臨したメグ・ライアンの主演作の1つ「シティ・オブ・エンジェル」(1998年)である。

そもそもタイトルの"エンジェル"とは誰のことか。
本作のDVDのケースに書かれた説明では、ニコラス・ケイジが演じたセスが「永遠の命を持つ天使」と書かれている。
だが、神や天使は白い服を着用し、死神は黒い服を着ているというのは、ハリウッド映画にも共通する約束事ではないのか。
第一、セスは、「死神の精度」(2008年)で金城武君が演じた死神の千葉のように、死ぬべき運命の人間を迎えに来るのが仕事の男だ。

そんな彼が永遠の命を捨てて地上に落ちたことで、"堕天使"なったのか。
クライマックスでメグが演じたヒロインのマギーは、空に舞い上がる天使のように両手を広げて交通事故に合う。
彼女こそ天使になったのであり、彼女の死を招いたセスはやはり死神ではないのか。

そして、この映画に使われた楽曲は、それを歌った歌手や聴いた人にとってどんな意味を持ったのか。
映画の中でヒロインたちが語った異性に対する愛に関する想いは、登場人物同士だけでなく私たちへのメッセージとしてどういう意味を持つのか。
さらには、「映画の小道具」として重要な意味を持つヘミングウェイの本は、セスが人間として生きる上で、どんな意味を持つのか。

この最後の点が、4月18日(金)に放送された「あさイチ」の「プレミアムトーク」でゲストとして生出演した綾野剛君が明かした握り寿司が大好きな理由と直結する。
この番組を観た読者でも「シティ・オブ・エンジェル」を観ていなければ分からない問題だが、綾野君の発言を聞いて、彼はセスと同類かと私は感じたのだった。

このように新ブログでは、これまで以上に、記事を書く過程で発想が展開していくので、自分自身が先読みできないが(それが、ブロガーにとって楽しみなのだが)、本ブログの最後の記事で取り上げた「コールド・ウォー 香港警察 二つの正義」についても、先月発売されたDVDをAmazonで購入すれば続編記事を書くことができる。
それに対して、第1ブログでラストシーンについて書いた「鑑定士と顔のない依頼人」は、DVDのリリースが8月2日と非常に遅いので、続編はその後のことになる。

それだけでは満足できないので、いまだ日本映画では作ることができないでいるジャンルなどのアジア映画の傑作・佳作を取り上げる「アイ・ラブ♥アジア映画」シリーズを記事化する予定である。
例えば、本ブログでは日本のリメイク・ドラマ「ダブルフェイス」の記事が今なお多くのアクセスを集めている「インファナル・アフェア」をはじめとする香港映画の本格的な解説をようやく行いたい。

一方、自分の半世紀を超えた映画人生を振り返る時、大きな意味を持つ名作を再鑑賞して、今日的な意義を改めて考える「死ぬまでにもう一度観たい自分史に残る名作映画館」シリーズも記事化したい。
それに対して、今年に入って観た新作映画はたった4本だが、新ブログでは、これまでとは違うアプローチで記事化するつもりであり、これは第3ブログでの告知記事で紹介することにしたい。→リンクは、こちら

いずれにしても、gooサイトでは第3ブログのFC2サイトと同様、わずか1ヵ月や2ヵ月、新規記事をアップしないだけで記事の上部に鬱陶しい広告が入るので、読者の皆さんにも迷惑を掛けている。
そうした事態を解消するためにも、新ブログで本ブログの過去記事の続編や関連記事をアップした時には、その旨をお知らせして、特別のコメントを付すといったことも実行していきたい。

再び第1ブログの一文と重なるが、新ブログの全貌が分かるまでには少なくとも半年は掛かると思う。
ただ今日から6日までのゴールデン・ウィーク中の5日間は毎日3本の記事を連発掲載するので、新ブログの雰囲気は理解して戴けるだろう。
気に入ったネット・ユーザーは、その世界が癖になるだろうし、そうでない場合は、スルーして戴いて結構です。

まずは、新ブログにアクセスしてみてください!→リンクは、こちら

ジョニデSF大作「トランセンデンス」公開前にコメディタッチのバンパイア物「ダーク・シャドウ」を楽しむ!

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インディアンから科学者へと役どころを大きく変えたジョニー・デップの主演作「トランセンデンス」が6月28日(土)に公開される。
さすがに日本の配給会社も原題を適切に言い換えたり、映画の内容を端的に示す日本語を考え出すことができなくて、原題である「Transcendence」をそのままカタカナに置き換えた。

マット・デイモン主演の「エリジウム」(Elysium)や「アジャストメント」(The Adjustment Bureau)など、SF映画の場合は、配給会社のスタッフが、ない知恵を絞って珍妙な邦題を付けるよりも、原題を生かして、「どういう映画かな」と映画ファンの関心を刺激した方がいいと言ったら失礼か。
コメディ映画のファンよりもSF映画のファンの方が好奇心が旺盛だしと言ったら、もっと不遜かな。

いずれにしても"トランセンデンス"とは、ジョニデが扮する科学者ウィルの研究対象である意識をもったスーパーコンピューターがもたらす現象、すなわち人工知能が人間の知性を超える現象ということで、この映画のテーマの核心のようだ。

監督の役割は、自身の作品の撮影監督を務めてきたウォーリー・フィスターに譲り、製作総指揮に回ったクリストファー・ノーランが、一貫して追求してきた人間の意識の深層や記憶の構造とも関わるテーマであるだけに、実質、ノーラン作品と見做してもいいように感じる。

科学技術予測では、40年後にこんな技術が実現すると考えられているとのことなので、今、40代以下の人たちにとっては、生きているうちに現出する怖ろしいテーマでもある。

そんな問題意識で自分の未来をシミュレートしながら、この作品を観る前に、2012年5月19日の公開から実に2年経過して、日本テレビ系「金曜ロードSHOW!」で来週6月6日(金)午後9時から地上波初放送される「ダーク・シャドウ」を観て、脳と体の緊張感を解しておくのがいいと思う。→「金曜ロードSHOW!」の公式サイト中の作品ページとのリンクは、こちら



本作のブルーレイ/DVDがリリースされた際に第1ブログに掲載した解説記事のタイトルを「映画館よりも自宅のテレビで観る方が監督と俳優の技を楽しめるかも」(→リンクは、こちら)としたように、映画館で観た人も観なかった人も、本ブログと第1ブログに掲載した記事で適宜、予習ないしは復習した上でテレビの画面に向き合うといいと思う。

こちらのブログに書いたのは、「TVドラマは知らなくても1970年頃のポップカルチャーを知る世代は楽しめる吸血鬼映画」(→リンクは、こちら)だけだが、洋楽ファンにとって楽しめる仕掛けが幾つもある。

ストーリーなどのポイントについては、第1ブログに書いた6本のご覧ください。上記のブルーレイ/DVD解説記事にリンク・リストがあります。

シネマナビ連動!土曜プレミアム2週連続放送「ガリレオ」映画版を28本の超絶解説記事で楽しむ!

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一昨年の夏から昨年の前半にかけて、日本を代表する男性シンガーソングライター・福山雅治君は、ミュージシャンとしての活動よりも俳優としての活動に大きくシフトした。
大河ドラマ「龍馬伝」に主演した際には専らテレビドラマの俳優として演技に専念したが、今回はマルチタレントとしてのキャリア史上初の映画での2本の主演に加えて、待望されていた人気連続ドラマ・シリーズの主演という活躍ぶりだった。

今年は春からミュージシャンとしての活動を最優先しており、同じくキャリア初の全国縦断ドーム・ツアーに続いてアジアでのツアーも敢行する。
その先には海外製作映画への出演という企画もきっと実現するのだろう。

そうした中、昨年公開の2本の主演映画のうち、ガリレオ・シリーズの映画版第2弾「真夏の方程式」が遂に地上波初放送されることになった。
まず今夜9時から、フジテレビ系での「土曜プレミアム」枠において映画版第1弾の「容疑者Xの献身」が再放送され、来週21日(土)夜9時からは、同じ番組枠で「真夏の方程式」が初放送される、いわば「初夏のガリレオ祭」という訳だ。

今日、共に終結状態になっている本ブログと第1ブログ「シネマナビ」の過去記事をチェックしたら、両ブログでガリレオ・シリーズに関して延べ28本もの記事を掲載していたことを知り、ブログ運営者自身が驚いた次第である。

少し先走り過ぎたり、ディープに書き過ぎたことも作用して、読者からのアクセスのレスポンスが芳しくなかったこともあって、連ドラ「ガリレオ」の第2弾の続編記事の作成を見送ったり、公開後に詳しい解説を書く予定であった「真夏の方程式」の原作と映画版の比較を放棄したりした。
それでも質量両面で、これだけのボリュームというのは、同じ原作者である東野圭吾さんの「新参者&麒麟の翼」に次ぐ私のブログを代表するコンテンツであることは間違いない。

劇場での公開時よりもじっくりと観ることができる今回の機会にこそ、真価を発揮すると思うので、放送の前と後のどちらでも結構なので、是非ご一読・ご再読戴き、映画をよりお楽しみください。
なお、シネマナビ掲載の10本の記事のリストについては、同ブログの連動記事の方をチェックしてください。→リンクは、こちら)

本ブログに掲載した18本の記事リストは、以下のとおりですが、本ブログの開設当初に掲載した「麒麟の翼」との連動記事から始まり、ドラマ「ガリレオ」シリーズの第1弾と第2弾の比較、ドラマの本編、特番とスペシャル版の解説、そして「真夏の方程式」の公開前の詳細解説など、長期間にわたる多様な内容になっています。
他方でシネマナビの記事の方も、連ドラ第2弾や映画に関するディープな内容となっており、「実に面白い!」と感じて戴けると確信しています。

それでは、どうぞ!




?「麒麟の翼」&「容疑者Xの献身」 映画好きの原作者が用意した映画ネタの小道具の意味は対照的→リンクは、こちら

?「容疑者Xの献身」 娘の一撃でスノードームは割れなかったが、母子家庭と天才の人生は破滅したのか!?→リンクは、こちら

?「ガリレオ2」&「真夏の方程式」連動企画=命運を賭けたフジテレビの用意周到なガリレオ作戦を追う?→リンクは、こちら

?「ガリレオ2」&「真夏の方程式」連動企画=命運を賭けたフジテレビの用意周到なガリレオ作戦を追う?※→リンクは、こちら
 これまでの東野圭吾さんの原作「ガリレオ」シリーズの単行本の刊行時期とドラマの放送や映画の公開の時期との関係を整理したもので、ドラマに使用された短編や各回の犯人役を演じた意外なゲスト俳優が分かるように示した記事です。
 ※ 残念ながら、2回で中断しました。

?「ガリレオ2」スタート直前情報=ガリレオ&福山・吉高ファンのブロガーが注目する7つのポイント→リンクは、こちら
 放送前の予想記事ですが、「なぜ湯川は、准教授のままなのか?」や「役づくりのアクセントは、ヘアスタイルとメガネのマイナーチェンジ!」は、今読んでも楽しめます。

?「ガリレオ2」 さすがの高視聴率でスタートしたが、過ぎたるCMと演出はドラマの死角にならないか?〜前編※→リンクは、こちら
 ※ これは、前編だけで中断しました。

?「ガリレオ2」ガリレオ流・原子番号占いでは、新パートナーの岸谷美砂はどんな女性で湯川との相性は?→リンクは、こちら
 吉高由里子さんが演じた岸谷美砂に関するネット上で最もディープな記事として人気を博しました。

?スピンオフドラマ「シリーズ超常現象ガリレオ事件簿」にはセカンド・シーズンに繋がる要素があったか?→リンクは、こちら

?「ガリレオ2」 脚本家の深謀か思い上がりか?第1話がドラマ版と原作でこれだけ違う理由は何?=前編※→リンクは、こちら
 ※ これも、前編だけで中断しました。

?あと3週間「真夏の方程式」ドラマの続編でなく「容疑者Xの献身」の続編として楽しむ7つのアングル=前編→リンクは、こちら
 アングル?として「容疑者Xの献身」よりも原作に忠実

?あと3週間「真夏の方程式」ドラマの続編でなく「容疑者Xの献身」の続編として楽しむ7つのアングル=中編→リンクは、こちら
 アングル?:湯川学の見た目の変身、アングル?:岸谷美砂の見た目の変身、アングル?=事件の謎

?あと3週間「真夏の方程式」ドラマの続編でなく「容疑者Xの献身」の続編として楽しむ7つのアングル=後編→リンクは、こちら
 アングル?=物語の構造、アングル?=今回、湯川はなぜ少年に優しく、何を守ろうとするのか、アングル?=クライマックスシーンの見所のほか、ボーナス・トラックとして、湯川がキッズ・ケータイの受信を遮断するために利用した「ある物」とは?

?貴方は気づいた?「空飛ぶ広報室」と「ガリレオ」と「リアル〜完全なる首長竜の日」の共通シーンとは?→リンクは、こちら

?「ガリレオ」2weeksスペシャル〜今夜放送の「内海薫 最後の事件」で「真夏の方程式」へのXデイが起動!→リンクは、こちら

?「ガリレオ2」最終章の原作として、なぜ第2長編作「聖女の救済」が選ばれたのか?=前編→リンクは、こちら

?「ガリレオ2」最終章の原作として、なぜ第2長編作「聖女の救済」が選ばれたのか?=後編→リンクは、こちら

?「ガリレオ最終章 聖女の救済」と「リアル〜完全なる首長竜の日〜」のもう1つの共通点〜恐竜の骨格標本→リンクは、こちら

?ネタバレ以前に、映画「真夏の方程式」が最高傑作になることができなかった8つの基本的な疑問を考える→リンクは、こちら
 公開日に鑑賞した翌日に書いた映画レビューに当たる辛口の批評

「真夏の方程式」初放送効果〜私のブログ史上歴代最高のアクセスを可能にしたキーワードとは?

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昨年11月15日にアップした香港映画「コールド・ウォー 香港警察 二つの正義」に関する記事をもって事実上、運営を終結させた本ブログだが、一昨年2月の開設以来1年9月の間、様々なテーマやジャンルの記事をアップし続けても、日アクセス数が5千PVを超えることはなかったし、アメーバで運営して来た第1ブログ・シネマナビのアクセス数を凌駕することもできなかった。

それが新規記事をアップしない状態が続いた5ヵ月後の今年4月13日(土)にアクセス数が7,554PVとなって初めて第1ブログを上回り、さらに翌20日(日)には過去最高の8,103PVに達した。

この記録を破ることはできないと思っていたが、今日の午前1時過ぎ、前日のアクセス数が最も早く分かる本ブログのマイページにアクセスしたところ、予想を遥かに超えるトンでもない結果が表示されていた。

日アクセス数22,656PV、日訪問者数15,759PV、ブログ順位7位という自己最高記録の更新オンパレードだった。
ちなみにこれまでの最高は、昨年1月、「麒麟の翼〜劇場版・新参者」が地上波初放送された際の第1ブログで記録した1万8千PVだった。
それに対して今回は、昨夜、地上波初放送された「真夏の方程式」のお陰である。

私のすべてのブログの共通点として、新作映画に関する解説記事の内容が詳し過ぎるため、劇場公開時点ではさほどのアクセスを集めないことを挙げることができる。
むしろブルーレイやDVDがリリースされたり、WOWOWなどBSで初放送された際に復活する傾向がある。
そして、最もアクセス数が再起動するのが、地上波初放送の時だ。
「1本の記事で3度美味しい思いをする」というのが、私のブログの記事の特徴と言える。

もう1つの特徴は、「ストロベリーナイト」の場合も、今回の「真夏の方程式」の場合も、数多くの記事に対して万遍なくアクセスがあるのではなく、1つの記事に対して集中する傾向が顕著なことである。
本ブログに掲載した後者に関する18本もの記事のうち、ダントツで1位になったのは、<ネタバレ以前に、映画「真夏の方程式」が最高傑作になることができなかった8つの基本的な疑問を考える>の記事であり、アクセス数は14,294PVと全体の2/3近くを占めている。

その理由はハッキリしており、記事のタイトル中に「ネタバレ」を含むからだ。
そう、映画やテレビドラマに関する記事のアクセス数を増えすための方法として、表面的なネタ明かしに止まっていても「ネタバレ」を必ず冠する安易なブログか少なくない中で、他のブログでは解明していない内容の分析を含む場合のみ「ネタバレ」の文字を入れることをポリシーとして来た私だが、この「真夏の方程式」の記事では、「ネタバレ以前」という趣旨だったにも拘わらず、「真夏の方程式 ネタバレ」の検索でヒットしてしまったのだ。
この検索によるアクセス数が6,052PVを占め、ネットユーザーの半数近くが採用したことを示している。

改めて「ネタバレ」検索を好む人が多いことと、Googleのキーワード検索におけるgooサイトの記事の扱いの高さを痛感した次第である。(記事アップから1時間以内の短時間で検索結果のトップページに表示されるのは、gooブログだけだと思う。)



アメーバと違ってgooの場合、ブログ順位はアクセス数でなく訪問者数であるので、1人のネットユーザーに同時に多くの記事を読まれるタイプのブログの順位は相対的に低いが、今回の本ブログの場合、目的とする記事に対して検索でピンポイントでアクセスするウエイトが高かったため、総合順位で7位というランクを獲得することができただけでなく(上の画像)、「ぐるねこ大和」という超別格の人気ブログが存在する中での人気記事ランキング4位(訪問者数11,544人)という凄いランクを得ることができた。(下の画像)
アクセスを頂戴した方々に対して、ご報告するとともに、お礼申し上げることにしたい。

それに対して、新ブログの方は、開設以来、アクセス数や訪問者数で低迷状態が続くと言うよりも、衰退状態に陥っている。
開設から7週間が過ぎたが、日アクセス数は開設日を下回る100PV前後に止まり、1週間で50PVを超えた記事も10本に達しない有様だ。

個人的な嗜好を強く出した記事は元々アクセス数を目的としていないので、それでも構わないと考えている。
しかし、先週17日にアップした<朝ドラ「花子とアン」の今朝の放送回で、なぜラフマニノフの交響曲第2番第1楽章のメロディが2回流れたのか?>(→リンクは、こちら)というような一般受けすると思う記事へのアクセス数が5日間でわずか23PVに過ぎなく、それでもページ別アクセス数の第3位ということでは、今後、多くの人に読まれるべき内容の記事の場合、本ブログや第1ブログの方に掲載する必要があるともと感じてしまう。

まだまだ模索が続く新ブログの運営であるが、そうした中での本ブログの快挙には、私だけでなくブログの運営に悩むブロガーの方たちにとって、活路のヒントを見出すことができるのではないだろうか。

西洋絵画史上最も怖い絵・ゴヤの「我が子を喰らうサトゥルヌス」を今日の政治力学的に解釈する=最恐予告編

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連ドラ「ペテロの葬列」の第2話でジョルジュ・ド・ラ・トゥールの名画「ダイヤのエースを持ついかさま師」が登場したが、その出典は、エンドクレジットで示されているように、角川文庫から出版されている「怖い絵」シリーズの第1作だ。

なせか著者である中野京子さんの名前が明記されなかったのは問題だと思うが、2007年7月に朝日出版社から単行本として刊行されてから、ちょうど6年後に角川文庫に収録された際、表紙にはこの絵の中央右寄りに座る高級娼婦のような横目の女性を中心とする部分がカバー絵として採用された。

この著作には、通常の感覚とは少し異なる意味のものも含めて、作者が怖いと感じる22点の作品(単行本では20点)を取り上げ、様々な観点から「怖い絵」である意味が読み解かれているが、最初に取り上げられた作品が他ならぬ「ダイヤのエースを持ついかさま師」だった。(中野さんの本では、単に「いかさま師」というタイトルであり、それは「ペテロの葬列」の登場人物である喫茶「睡蓮」のマスター・水田大造の説明で引用された。)

主として聖書のエピソードに基づく敬虔かつ静謐な「夜の絵」を遺したフランスの画家ラ・トゥールが、なぜ異質なこんな謎めいた不穏な「昼の絵」を描いたのかについても、中野さんは解説の最後で推論を披歴している。
ことほどに絵は、画家の隠された心の裡、とりわけ心の深い闇を表出するものだが、そのことは、この本にも当然のごとく収録された私が最も怖いと感じ続けて来た絵の作者であるフランシスコ・デ・ゴヤについても言えることだ。

べラスケスと同様、宮廷画家として栄誉を極めたゴヤは、スペインからフランスに旅立つ前にマドリッドの郊外の別荘に「黒い絵」と呼ばれることになる怖い絵を残したが、その究極の1枚が、ギリシャ・ローマ神話の神の1人であるサトゥルヌスのおぞましい行為を描いた「我が子を喰らうサトゥルヌス」だった。(下の画像)



私は、30年ほど昔、この絵を知った時、将来の日本の黙示録的な予想図かと感じた。
その時の意味は、戦前の日本において生活に困窮した家庭の父親が娘を食い物にするということとは異質の、自分が生き延びるために母性の欠落した母親を含む親が子供を犠牲にする姿だった。

その悪い予想は、経済的先進国でアメリカよりは少しマシとは言っても最悪レベルとされる貧困家庭で暮らす子供の比率が非常に高い(2012年で16.3%で2003年以降、増加の一途)日本の姿として顕在化しつつあるように思うが、それはまだ、個人の力で回避できる余地を残した問題である。(もちろん根絶するには政治的な対応が不可欠だが)
今、この絵が日本の近未来予想図として最も怖いと感じるのは、政治力学的な意味である。

反米・反中の立場の人たちも含めて連想できるのは、サトゥルヌスを米国ないしは中国、さらには米中連合と捉えて、父親である彼の国に食い千切られる子供を日本と見立てる図式である。

戦後、アメリカは日本に対して、大国と戦争する愚かさと民主主義を持たない国の末路を教えた父親のような存在と見れば、今、その教えを無視して、父親にまたしても無駄な抵抗をして食われようとしていることになる。
一方、中国から見れば、日本はもっと昔から大陸の先進技術や文化を分け与えた立場であり、今、その恩を忘れてアメリカを超える大国となりつつある中国を再び脅かす存在となろうとしている愚かな子供ということになる。

いや、今は日本とアメリカの共通の仮想敵国である中国に対して、既に映画の分野ではハリウッドが中国に擦り寄っているように、経済的な力関係では日本の頭越しにアメリカが連合を組む可能性すら否定できない。

だが、私は反米・反中の立場からそんな懸念を喧伝するよりも、ゴヤの絵は、日本国内の政治力学の数年後の姿を予告するものと捉えるのが一番恐ろしいと考えている。
そう、サトゥルヌスを国家ないしは国政の権力者、子供を国民と見る視点である。

政治家に限らず他人がどんな性格の人物か、何を考えているか分からない場合、彼が高く評価する友人、いわゆる「お友だち」の言動を見れば、彼自身のことがよく分かるものだ。
とりわけ最高権力者の場合、彼の「お友だち」たちは、失言や暴言をマスコミなどに追及されることを嫌って無難な美辞麗句を述べる本人に代わって、本音を正直に発言してくれる。

たとえ「お友だち」がマスコミなどから責任を問われても選任者である権力者が守ってくれるし、自分は彼の信念を代弁しているに過ぎないのだから、恐れるに足らないということなのだろう。
その結果、一見、矛盾する日本の政治的進路が合流する姿も浮かび上がって来る。

1つは、日米軍事同盟を強化するための特定秘密保護法の制定・施行と解釈改憲による集団的自衛権の行使である。
もう1つは、そのパートナーである筈のアメリカに押し付けられた現憲法を改正し、戦後レジュームを清算することである。

短期的には「親米」強化により中国を抑え込みつつ、中長期的には「脱米」を目指す国際政治力学を実現するための財政的な裏付けは、消費税を20%に上げても不可能であることは明白だ。
そのためには、世代間格差に対して強い不満を持つ雇用不安定な若年層と年金に頼る高齢者を、同時に政治力学の生贄とする方法しかないだろう。

その意味で、「進撃の巨人」のオリジナル・イメージかもと感じるゴヤの「我が子を喰らうサトゥルヌス」は、集団的自衛権に賛成する立場の若者や高齢者を含めて、最も「怖い絵」だと感じるべきだ。

以上の説明だけで意味不明と感じる人たちには具体的な説明が必要なのだろうが、語ることすらおぞましい不可避な構図として、このわずか1年で一気に悪夢から現実のものへと近づいたように感じることを詳らかにすることには躊躇せざるを得ない。

なお、今後、連ドラ「ペテロの葬列」において、この絵が喫茶「睡蓮」の壁などに登場する可能性はあるだろう。(喫茶「睡蓮」なら、マスターは相当悪趣味だが。)
その根拠の1つとして、7月28日(月)放送の第4話に登場するエドヴァルド・ムンクの「思春期」も、中野さんの「怖い絵」に収録されている。

その場合、サトゥルヌスは巨額の架空詐欺の主犯の男の象徴であり、体を食い尽くされる子供は有り金をすべて奪われた被害者ということだろう。
「騙される方も悪い」という雰囲気がある中で、そんな巨悪の跋扈を事前に防ぐことはもとより、罪の重さに見合った罰を事後的に加える法制度も十分と言えない。

そもそも、車を凶器として悪用して多くの人の命を奪いながら、無免許でも運転技術があれば刑罰が加算されない国において法制度の正義があるのかと問いたくなる。
「朕は国家なり」どころか、「我は憲法なり」と最高権力者が言い放つことができる国だから、もはや「立憲民主主義国家」どころか、「法治国家」とさえ言えないのかもしれない。
すべての問題が丸投げ、糊塗される「放置国家」に堕ちることを私たちが受け入れるのであれば、未来を失うことになる子供たちは震えて眠るしかないのではないか。

どのNがNの誰を愛したか?「Nのために」〜NによるNのための解説記事を書くことにしたい…

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【私にとっての榮倉奈々ちゃんとショート・ドラマ「ラスト・シネマ」は、特別の存在】
第1ブログ・シネマナビでは、「井上真央スペシャル」というカテゴリーを設けて、井上真央ちゃんの人となりや出演作などについて、あれこれと記事を書いた。
シークレット・ブログ化した第5ブログ・ウィズネームでは、休業中の刈谷友衣子ちゃんをメイン・ターゲットの1人とした。

だが、この2人よりも先に好きになった若手女優が榮倉奈々ちゃんであるのに、彼女の出演作について書いたのは、第1ブログに掲載した「アントキノイノチ」(2011年)の解説記事くらいである。

自分が一番好きなことは、他の人にはあまり語りたくないという性格の私にとって、奈々ちゃんの出演ドラマで忘れらない作品になったのが、今年4月5日に「土曜プレミアム」枠で放送された「世にも奇妙な物語'14 春の特別編」のうちの1本、「ラスト・シネマ」だった。

このスペシャル・ドラマを毎回楽しみしているファンが少なくないと思うし、今回は第1エピソード「ニートな彼とキュートな彼女」に主演した玉森裕太さんとか、第3エピソードの「空想少女」で、「あまちゃん」以来のドラマ出演を果たした能年玲奈ちゃんを目当てで観たファンが多かったと思う。

客観的に見て、「空想少女」は、能年ちゃんの新たな魅力を見出せる内容ではなかったのに対して、同じく原作小説がある「ニートな…」の方はバーチャル・メイド役に木村文乃さんをキャスティングしたことでオチが読めるという瑕瑾はあったが、面白い内容のショート・ドラマに仕上がっており、玉森さんも適役だったと思う。

だが、榮倉奈々ちゃんがヒロインを演じたオリジナル・ドラマ「ラスト・シネマ」は、あらゆる意味で私が今年観たベスト・ドラマだった。
その具体的な理由は、個人的な問題を含むので、第5ブログで書くつもりである。

【10月クールの新ドラは、アルファベットの1文字がキーワード】
元々、ミステリー小説のファンである私にとって一番観たいドラマはミステリー系だが、いくら原作が良くても、脚色力に欠ける脚本家の手に掛って凡作に終わってしまうリスクが一番高いジャンルでもある。

7月クールでは、宮部みゆきさんの「ペテロの葬列」しか観なかったが、期待を持たせた第1話のバス・ジャック事件の出来に比して、第2話以降は、原作から改変した登場人物の言動や有名絵画に関する思わせぶりな演出が過剰であるとともに、視聴者を意図的にミスリードするきらいがあるため、第9話に至っても評価を保留している。

そして10月クールでは、人気ミステリー作家の小説を原作とする新ドラが2作、スタートするが、共にキーワードはアルファベットの1文字だ。。
1つはフジテレビ系での「すべてがFになる」(火曜日・夜9時〜)であり、もう1つはTBS系の「Nのために」(金曜日・夜10時〜)だ。
それぞれの主演が綾野剛君と榮倉奈々ちゃんとあっては観るほかないが、ドラマの出来に対して不安が高いのは前者である。

目新しいテーマのドラマが好きと言うか、軽いドラマが得意のフジテレビが、よりによってミステリー系の原作でも一番映像化が難しい新本格ミステリーの旗手・森博司さんの、いわゆる「S&M」シリーズ(主人公の探偵役2人のイニシャルから名付けたもの)に手を出すとは、ミステリー・ファンから見ると狂気の沙汰に近い。

月9「HERO」の続編ドラマが今や不可能領域になった20%超えを果たしたことで自信を回復したのか、近年、低迷が続くフジテレビが困難なドラマの制作にも成功し、すべての時間帯別視聴率(ゴールデンタイム(19時-22時)・プライムタイム(19時-23時)・全日(6時-24時))争いでトップに復帰し、「すべてがFujiになる」ことを企図した選択なのか、それともドラマの出来でも視聴率でも「すべてがFutsuになる」だけなのか。

こうした点も含めた「すべてがFになる」については、第5ブログで扱うことにするが、もう1つの「Nのために」は本ブログでフォローすることにしたい。

どらちも原作本を購入したが、まだ「Nのために」(双葉文庫・2014年8月刊)は読み始めておらず、結末を知らない状態で、原作とドラマの相違点を中心整理したい。



【映像化に適した湊かなえさんの小説】
質量共に圧倒する宮部みゆきさんや森博司さんの原作本と比べて、湊かなえさんの小説は長編でも程々の長さであり、ロジック重視よりも登場人物の心理描写のウエイトが高い点が、映画やドラマ向きだ。
人気作家の条件であるテーマの社会性などの面でも、デビュー長編作「告白」を筆頭に彼女の小説の映像化は話題になりやすい。

加えて、今年映画が公開された「白ゆき姫殺人事件」や本作のように、主な登場人物一人ひとりの語りにより物語が進み、それぞれの主張をすべて知る特権的立場にある読者が、彼らや彼女たちの言葉の中から矛盾点や嘘を見出しつつ真相に迫るという構成を得意としており、これは映画やドラマとの親和性が高い強みである。

そして、本作の場合、原作では冒頭、いきなり10年前の殺人事件がわずか3行に要約されて提示され、その現場にいた杉下希美をはじめ全員がイニシャルの頭にNの文字を頂く4人の供述調書が並べられるというスタイルで始まる。

それに対して、ドラマの第1回は、事件の先日譚となる15年前の出来事から始まり、5年後に関係者が集まった高級マンションで同じくNの文字を冠する夫婦が殺され、4人のNという名の関係者のうちの1人が、もう1人のNのことを想って自供し、10年の刑に服するという流れで展開するようだ。

このイントロの設定だけでもドラマは、原作を大きく脚色・改変しており、原作と同様、第2話以降において4人のNの視点から順次、過去が語られていくことによりドラマが進行するかどうかは分からないが、少なくとも2つの過去(15年前と10年前)と現在が往還・シンクロしながら展開していくことが原作との決定的な違いのようだ。

その場合、10年の刑に服したNが誰で、どのNを守ろうとしたのかは第1回で明らかになるが、関係者である他の2人のNだけでなく、殺された2人のNにとっても、自分以外のNに対する秘めた想いが隠されているというのが原作のミソである。

この点について湊さんは、「登場人物は皆、それぞれのNのために行動します。誰が誰のNなのか、こういう愛のかたちがあったのかと、たくさんの人たちが自分の大切な人を思い浮かべながら、この物語を楽しんでくださることを心より願っています」とのメッセージを、ドラマの視聴者たちに寄せている。(番組プレサイトによる)

さらに、「すべての謎を知ることができるのは、登場人物の誰でもなく、最初から最後まで見届けてくれた方のみです」という言葉で締めくくっているが、前述のように、神のような特権的立場にある視聴者こそ、登場人物の言葉や映像の演出でミスリードされ、一番混乱に陥り易い立場ということにもなる訳だ。

【大きく変えた登場人物などの設定】
原作では、10年前の4人のNたちの行動を中心に一人称の語りで進められるとともに、現在の自分がどうなのかが各章の最後で短く紹介されるだけのようだ。
それに対して、ドラマでは現在の部分にウエイトが置かれ、事件の真相を追う狂言回し的なキャラクターとして原作には出て来ない元警察官・ 高野茂を登場させ、三浦友和さんをキャスティングして脇を固めた。

またセレブである野口貴弘と奈央子の2人のN夫婦の殺人事件の発端となった15年前の出会いの場所も、原作の沖縄・石垣島から瀬戸内海の島に変更されている。(時間設定でも、原作では事件の5年前ではなく2年前。なお、ヒロインの出身地は、愛媛県の青景(あおかげ)村という瀬戸内海にある島の集落である。)

こうした改変に伴い、ヒロイン・杉下希美にキャスティングされた榮倉奈々ちゃんは、女子高生から32歳の大人の女性までを幅広く演じることになった。

また、10年前の殺人事件の直前、希美は知人である他の3人のN、すなわち成瀬(窪田正孝)、安藤(賀来賢人)、西崎(小出恵介)と“ある計画”を立てたことで現場に居合わせてしまうという設定も、原作どおりとは言えないようだ。

さらに何よりも、安藤が原作では女性であるのにドラマでは男性に変更された。
これは、安藤の名前が望で、他の2人の男性、成瀬や西崎と違って女性でも通用するということに脚本家が注目して、4人の事件関係者のうち希美独りを女性とすることによりヒロイン性を高めて、奈々ちゃんが単独主演のドラマという点を強調しようとしたのではないか。

そしてドラマの話題性を高めるため、朝ドラ(2008年の「瞳」)のヒロイン出身女優でもある奈々ちゃんを取り巻く3人の青年たちに、現在放送中の「花子とアン」で人気が大きく高まった窪田正孝さん(花子の幼馴染・朝市)と賀来賢人さん(花子の兄・吉太郎)、さらには「梅ちゃん先生」に出演した小出恵介さん(梅子の兄・竹夫)を起用するという「朝ドラ布陣」にしたのだろう。

彼らのキャラクター設定についても原作と異同があると思うが、今回は、希美や被害者となるセレブ夫妻も含めたNというイニシャルを持つ登場人物全員の名前と簡単なプロフィルを、以下にリストとして示しておきたい。
この中にもヒントが隠されている筈だ。

★成瀬慎司・shinji Naruse(窪田正孝)…希美の高校時代の同級生。原作では、事件当時、T大学経済学部4年生。希美とは高校3年生の時に同じクラスで、昨年、同窓会で再会。フレンチ・レストランでアルバイトをしており、出張サービスで訪れた被害者宅に希美がいたので驚く。それまで被害者とは面識がなかった。

★安藤望・Nozomi ando(賀来賢人)…希美と同じアパートで暮らし、野口貴弘と同じ商社に就職。原作では女性で、希美の1年年上の、かつて同じアパートに住んでいた。共に将棋とスキューバダイビングが趣味で、彼女の就職内定祝いで2人は石垣島へ旅行し、被害者と親しくなった。希美と同じ読み方(のぞみ)であることに意味があるのかどうか。

★西崎真人・masato Nishizaki(小出恵介)…野口夫妻殺害の事件後、自供し、殺人罪で服役。原作ではM大学の4年生だが、2年留年しているので、一番年長の24歳。希美の現在のアパートの隣の部屋に住む。このため、彼女の部屋を訪れた被害者の夫人と面識があった。

☆野口貴弘・takahiro Noguchiと奈央子・Naoko noguchi(キャスティング未公表)…被害者。希美たちと親交があった。原作では夫は資産家の息子で、大手総合商社・M商事に勤務し、妻は同社の重役の娘。2人の住まいは、52階の超高層マンション「スカイローズガーデン」の48階で、海外赴任を想定した仮住まい。

☆杉下希美・Nozomi sugishita(榮倉奈々)…原作では事件当時、22歳のK大学文学部の4年生。



【4人の女性スタッフたちが再びタッグを組むFによるFのためのドラマ】
前項で示したことで榮倉奈々ちゃんのヒロイン性が高められたことが窺えるが、今回のドラマには、同じTBSが昨年1月クールで連ドラ化した湊かなえさんの原作による「夜行観覧車」のプロデューサー・新井順子さんと脚本家・奥寺佐渡子さん(「八日目の蝉」(2011年)で2012年・第35回日本アカデミー賞の最優秀脚本賞を受賞した実力派。コミック版が「ビッグコミック・スペリオール」誌に連載中の12月20日公開の映画「バンクーバーの朝日」(今年の日本アカデミー賞最優秀監督賞の石井裕也監督の最新作)の脚本も手掛けている。)、演出家(ディレクター)・塚原あゆ子さん(ほかに、山本剛義さんも共同演出)が再び集結したこともポイントである。

要するに、湊さんにとって初のラブストーリー物という意味も含めて、女性(F)ばかりのスタッフとキャストによる女性視聴者(F)のためのドラマと言うことができる。

それに対して、この記事シリーズは、「N(ブログ運営者)によるN(主演女優)のために」書くことにしたい。

「ジャージー・ボーイズ」 君はビートルズもレコードを収集したザ・フォー・シーズンズの歌に恋したか?

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歳を取ったので、これまでのように好奇心や関心の対象を広げる"拡大路線"を止めて、本当に好きなものに絞り込んで想いを深めて行く"偏愛路線"に転じようと、ウィズネーム名義の第5ブログの運営に専念することにしたが、元々のカバー領域が広かったため、偏愛の対象を絞り込むことは容易なことではない。
否応なくそんなことを痛感させられることになったのが、奇しくも9月27日に同時公開の日米2本の映画だ。

1つは、本格ミステリーの巨匠・島田荘司さんが書き下しの原作を提供した初の映画化作品「幻肢」であり、もう1つは、ハリウッドを代表する名匠クリント・イーストウッド監督の最新作「ジャージー・ボーイズ」だ。(後者の映画の公式サイトは、こちら)

第5ブログの開設以降、広く新作映画の情報を雑誌やネットでリサーチしなくなったこともあり、この2つの作品が製作・公開される動きを、最近まで私は知らなかった。
特に、今回取り上げる「ジャージー・ボーイズ」については、昨夜、先週末の映画興行成績ランキングを映画.comで確認するため、同サイトのトップページにアクセスした時だった。

目的の最新ランキングは未掲載だったが、「注目情報」の欄にあった「特集 ジャージー・ボーイズ NEW」の見出しに気づき、「誰もが知る名曲をテーマに−名匠クリント・イーストウッドが、“新たなる傑作”をまた生み出した」と書かれている惹句に反応し、リンクをクリックした。

「映画は監督と女優で観る」ことを原則としている私だが、極端に鑑賞本数が減った今年の場合、R18やR15指定のレイティング映画を偏愛している結果になっている。
デンマークの鬼才ラース・フォン・トリアー監督の最新作「ニンフォマニアック」最強R18・2部作(Vol.1は10月11日公開・Vol.2は11月1日公開)を観るようなら、「色情狂(ニンフォマニアック)ではないよ」と否定しても、「偏愛ならぬ変態」との誹りは免れない。

話を戻すと、ハリウッド映画の場合、監督はイーストウッド、女優はエイミー・アダムス(一昔前はニコール・キッドマン)の作品であれば無条件で観る。

御年84歳のイーストウッドの監督作をあと何本観ることができるのかを心配するよりも、20歳近く年下の私があと何年、呆けずに映画を観ることができるのかの方が問題だが、それにしても、次はどんなテーマを取り上げるのかが、何よりも楽しみなこの偉大なムービーメーカーの今回の最新作は、私の予想を超えた内容だった。

前作「J・エドガー」(2011年)までほぼ毎年1作のベースで監督作を製作・公開し続けてきたイーストウッドが3年というブランクを空けたことへの懸念よりも、それは嬉しいの一言に尽きるものだ。

なぜなら現在、NHKのEテレで放送中の「ニッポン戦後 サブカルチャー史」を自分に引き寄せれば、1959年3月に同時に創刊された「週刊少年サンデー」と「週刊少年マガジン」、1960年代初頭のアメリカン・ポップスが私のサブカル嗜好の原点である。
それは、少し後にビートルズの登場やハリウッド映画の1人鑑賞、さらには「平凡パンチ」の愛読により進化したが、今なお強いノスタルジーと共に当時の空気感が蘇るいう面で後者に勝るものはない。

このことについては、第1ブログの初期の記事<「マダガスカル 1&2」 ライオンは寝ていなかった!〜映画の中のポップス?>(→リンクは、こちら)で紹介したところだが、ホール・アンカやニール・セダカなどと共に、私が偏愛したビッグ・ネームが、「ジャージー・ボーイズ」の主人公である4人組「ザ・フォー・シーズンズ」だった。(下の画像は、映画の中のメンバーたち)



今、日本のテレビではゴールデンタイムでの映画の放送枠が減っているだけでなく、映画「渇き。」の原作者である深町秋生さんが「キネマ旬報」(2014年7月上旬号)のインタビューで半ば怒りを籠めながら問題視したように、「エクソシスト」のような刺激的な作品が放送されなくなった。

同様に音楽番組も減少しただけでなく、取り上げる歌手や曲に偏りが見られるとともに、グローパル時代であるのに、1960年代にフジテレビ系で放送された「ザ・ヒットパレード」のようにアメリカン・ポップスを日本語の歌詞で歌うような番組がなくなった。

その頃の私が、アメリカのヒットチャートであるビルボードの動向をリアルタイムで把握していたのと比べると、今の日本は、全国系・地域系などのガールズ・ユニットとジャニーズ系の男性ユニットと男女ダンス・ボーカル・ユニットだけで音楽の世界が回っているように感じる。

そんな状況の中で、ジャズ音楽に深い見識を持ち、自身もピアノを弾いて、自分の映画のテーマ曲を作るイーストウッドが、人気ブロードウェイミュージカル作品の映画化という形を採ったとはいえ、1960年代にビートルズに席巻されたアメリカの音楽界の牙城を、西海岸のビーチ・ボーイズと共に守った東海岸のザ・フォー・シーズンズの物語とそのリード・ボーカルを担当したフランキー・ヴァリのエバーグリーンの代表曲「君の瞳に恋してる(Can't Take My Eyes Off You)」の誕生秘話を綴る映画を作ったのには泣けてくる。

振り返れば、初監督作である「恐怖のメロディ」(1971年)でジャズの名曲「ミスティ」を教えられ、「真夜中のサバナ」(1997年)ではジャズ・シンガーのダイアナ・クラールを知ってファンとなり(その後、「ノッティング・ヒルの恋人」(1999年)の主題歌「she」を歌ったエルヴィス・コステロと結婚したのには心底、驚いた!)、スタッフがアカデミー賞の音楽部門にエントリーしなかったためノミネートから漏れた傑作「ミスティック・リバー」(2003年)のエンディングで流れるテーマ曲の奥深さに平伏したことが蘇る。

私の「ザ・フォー・シーズンズ」好きは、
?最初のビルボード1位曲「シェリー」(「ザ・ヒットパレード」の常連だった「ダニー飯田とパラダイス・キング」の一員として加わったショートカットが可愛かった九重佑三子さんが1963年にレコード・デビューした曲でもある)、「恋はやせがまん」、「恋のハリキリ・ボーイ」(この曲まで3曲連続1位)、「キャンディ・ガール」とドーナツ盤を小遣いで買い続けたものの、ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」や「抱きしめたい」などと共に、大学在学中、自宅を不在にした間に母親に無断で処分されたこと、

?デビュー25周年を記念して1988年にアメリカでリリースされながら日本ではスルーされた3枚組の「フランキー・ヴァリ・アンド・ザ・フォー・シーズンズ 25周年記念コレクション」が、10年の歳月を経て輸入盤CDに原盤封入のジーン・スクラッティのライナー・ノートの対訳を付して発売(下の画像が、そのケースと添付の解説書)されたのを大枚6,200円(税抜き)を払って手に入れたこと(Amazonでは扱っていない!)、

?アカデミー賞作品「ディア・ハンター」を観た映画ファンや私のようにファン・クラブに入っていたZARDのファンであれば思い出の曲「君の瞳に恋してる」に関する記事(<「陰謀のセオリー」ほか 永遠の「君の瞳に恋してる」〜映画の中の音楽?>→リンクは、こちら)を第1ブログに書いたこと
…を挙げれば十分だろう。



ジーン・スクラッティは、こう書いている。
「ニューヨーク周辺をホーム・グラウンドに、その歌声でリスナーのハートを魅了したフォー・シーズンズは、イースト・コーストのビーチ・ボーイズ的存在だったと言っても決して過言ではない。20年間で9000万枚という彼らのレコード・セールス実績が何よりもそれを物語っている。…かのビートルズのメンバーも、かつてはビーチ・ボーイズのレコードを買うのと並行してフォー・シーズンズのヒット・レコードを収集していたという。」

私と同世代の人たちにとって今「ジャージー・ボーイズ」を観ることは、決して少年・少女時代のノスタルジーの世界に遡行するのではなく、アメリカという国を成り立たせたポップスというサブカルチャーの核心を再確認し、日本が世界のミュージック・シーンでどんな役割を果たして行けるのかを問い直すことだと思う。

だから、映画を観る前にイーストウッドにお礼を言いたい。
「大切な音楽を思い出し、今、生きていることの意味を問い返す機会を与えてくれて、ありがとう」と…。

P.S.
トリビア・ネタを1つ付け加えると、ヴァリは何回も売れないグループを作ったが、「ザ・フォー・シーズンズ」の前身となる「ザ・フォー・ラヴァーズ」で注目されたものの、ブレイクできなかった。
そこでソングライターとして優れた能力を持つボブ・ゴテーィオ(「シェリー」などの大ヒット曲の作曲者)らと共に4人組を再結成した際、ニュージャージーの高級ラウンジから新クループの名前を採ったという。果たして映画の中でも登場するネタだろうか。→〔追記〕参照



〔追記〕(9月17日)
遅まきながらショートバージョンの予告編を観直したら(「日本オリジナル予告編」には出て来ないので注意)、半ば手前でメンバーたちが、「まず必要なのはバンド名さ」と言い合う中で、夜の帳にボーリング場の看板が映る。
そこに表記された名前「フォー・シーズンズ」の字幕が入る。(上の画像)
「バンド名決定!」という掛け声が上がる。(下の画像)
どうやら店名を採用という点では事実に基づいていても、業種は変更されたか!?

「惡の華」高校編のヒロイン・文ちゃんと島田荘司さんの作品を基にミステリー論を語り明かしたい!

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【マイルームの本棚には、彼や彼女の心の裡が示されている】
この歳になって改めて考えると、私は未婚の若い女性のマイルームに入って、彼女の本棚を見たことは1人だけの経験しかない。
元々、家族の共有だった部屋を一人娘の個室に改装しただけの部屋たったので、女の子らしい華やかさに欠け、本棚に置かれた本も、歴史文学や幕末・大相撲に関する雑誌などが目立つ、「歴女」としてのかなり個性的な嗜好が反映されたものだった。

7月20日(日)に放送された日本テレビ系「おしゃれイズム」に佐藤健君が意外にも初登場し、藤木直人さんが持つ大きなパネルに引き伸ばされた彼のマイルームの本棚の様子が初公開された時、「よく見られると恥ずかしい」と漏らした。(下の画像)
進行役の上田晋也さんも、「自分の中味を見られるようでね」と同意したが、そのとおりである。

私が注目したのは、本よりも映画のDVDだが、普通の若者の本棚であれば、アクション映画好きが分かるそのジャンルのDVDが多いとか、逆に佐藤君の場合、最近は観るようになったホラー映画が元々は苦手だったから、その手のDVDは少ないと推測できる。
しかし、佐藤君の仕事は俳優だから、自分の好みだけでなく、自身の出演作品の参考資料とか、目標とする俳優の出演作、今後、挑戦したいテーマや役柄の作品といった観点からのDVDも含まれているのだろう。

それに対して、映画やドラマ、コミックといった、視覚により一瞬で情報を把握できる作品の場合、登場人物の性格や嗜好を台詞やナレーションで示さなくても、本棚の本や手に持って読んでいる本で理解できる。
いや、理解できると思い込むことが軽薄である場合もあるが、それでも例えば、映画版「渇き。」の場合、学校の教室でヒロインの加奈子が読んでいる「不思議の国のアリス」やマイルームの本棚に置かれた「ドリアン・グレイの肖像」などは、彼女の正体を推測する手掛かりにはなった。



【「惡の華」主人公・春日高男の本棚と愛読書】
そして、刈谷友衣子ちゃんが映画「スイート・プールサイド」に主演するに当たり、撮影現場を訪れた原作者の押見修造さんに「『惡の華』のファンです」と明かしたことから、「スイート・プールサイド」の原作コミックだけでなく、「惡の華」全11巻も購入して読むことにした。

その主人公・春日高男が、作品のタイトルとされたシャルル・ボードレールの「惡の華」やシュルレアリスムの創始者アンドレ・ブルトンのファンであることは、原作者の嗜好の反映である。
前半の「中学編」の舞台が押尾さんの出身地・群馬県桐生市をモデルとするとともに、ストーリー自体にも彼の当時の体験や妄想が色濃く反映していると感じる。

そんな春日のマイルームの本棚が、第2巻の第9話「ほつれる糸」にワンカットだけ登場する。
しかも、本棚の一段が部分的に見えるだけだが、ボードレールの額入りの写真の後ろに並べられた本は、次のような作品だ。(直ぐ分かるのは「家畜人ヤプー」だけで、いずれも部分的にしか見えない。)

★J.K.ユイスマンの「さかしま」
★ミシェル・フーコーの「狂気の歴史」
★沼正三の「家畜人ヤプー」
★筒井康隆の「メタモルフォセス群島」
★中井英夫「虚無への供物」

このうち、「さかしま」、「家畜人ヤプー」、「虚無への供物」は、第7巻の第36話「見果てぬ夢に追いすがる」において春日が文に渡すお薦め本のリストにも書かれている。(筒井さんの本は別の作品で、他に澁澤龍彦さんの本がリストアップされている。本格ミステリーの最高作とされる「虚無への供物」をはじめ、いずれも私の嗜好にかなり近い。)

そんな春日が、群馬の中学校では佐伯奈々子と仲村佐和、埼玉の高校では常磐文(ときわ・あや)という3人の美少女たちと親しくなる。
それは決して羨ましいという生半可なものではなく、特に佐和との関係は破滅へと突き進む忌避すべき関係だった。

「別冊少年マガジン」(講談社)での連載が4年9ヵ月にもわたり、その間に押尾さんの画力が大きく向上したため、「中学編」での奈々子は「スイート・プールサイド」の綾子に近い幼い描写であるのに対して、「高校編」の文は現在「漫画アクション」に連載中の「ぼくは麻理のなか」の麻理に近いリアリティがある美少女に描かれている。

「惡の華」を最初から読み始めた時、男性読者の大半は佐和よりも奈々子の方が可愛く、ガールフレンドにするなら、この子の方がいいと感じるだろう。
だが、春日と佐和の狭間で奈々子が一番変貌し、やはりオトナしそうな女の子の方が手強いと感じて、佐和に対する見方も変わるのが、「中学編」のミソの1つとなっている。

ある事件後、髪を切るが、高校になってまたロングに伸ばした黒髪の美少女である奈々子に対して、文は茶髪っぽいミディアム・ヘアの美少女であり、3人の女の子の中では一番の文学少女である。
そんな文が、誰にも内緒でノートにミステリー小説のプロットを書き、愛読している本が島田荘司さんの本格ミステリーだと知った時、春日以上に私は彼女に関心を持った。

【同作の「高校編」のヒロイン・常磐文の本棚と愛読書】
文もまた、奈々子と同様、書店で春日の愛読書である「惡の華」を手にして、彼との距離感を縮めるのだが、今時珍しい読書家の少女である文が春日に最初に貸した本が、彼の好きなボードレールが出て来るという触れ込み架空の本である山辺灰男の「レスポス」のほかに、「こっちはね、面白いから」と保証した「暗闇坂の人喰いの木」の講談社文庫版だった。

島田さんの名探偵・御手洗潔シリーズの中でも屈指のおどろおどろしい怖さが炸裂する横浜の暗闇坂を舞台とする本格ミステリーだ。

続いて第37話「冬の日ざしがさっと差込む」の冒頭、文から借りて、春日が自宅のベッドで読み耽るのが、カッパブックス版の「龍臥亭事件」である。

この事件の時は御手洗は日本にはおらず、ワトソン役と事件記録の書き手を兼ねる相棒・石岡が北欧にいる御手洗と電話で遣り取りする。

学校の教室でこの本を読み終わった春日は、帰りに文から声を掛けられ、彼女の自宅を訪れ、初めて部屋に入る。
文が次に貸す本を見つけた時、ワンカット、島田さんの著作が並ぶ棚が見える。
講談社文庫版の本を右から視認すると、「アトポス」、「改訂愛蔵版 異邦の騎士」、「眩暈」、今日返した「暗闇坂の人喰いの木」、そして一番左が大判の「魔神の遊戯」だ。

島田ファンの私は、これらのすべてを持っているだけでなく、「アトポス」、「眩暈」、「暗闇坂の人喰いの木」は初版の単行本と文庫版の両方を持っている。
島田さんは文庫化に際して字句修正を行うことが少なくないからであり、その最たるものが「異邦の騎士」である。
この本については、講談社ノベルス版のオリジナルと原書房から出た単行本の「改訂愛蔵版」の初版を持っている。

もちろん文藝春秋から、書き下ろし「本格ミステリ・マスターズの第1弾として刊行された「魔神の遊戯」の初版本もある。
結構、積読がある私の蔵書の中でも島田さんの本だけは完読している。

さらに第8巻においても、第40話「目出度い宇宙の調和を破る」では、春日は「ロシア幽霊軍艦事件」を文に返す。

これは、帝政ロシア末期の皇女アナスタシア伝説をテーマとした小説である。
彼女の物語は、メグ・ライアンが声優を務めた長編アニメ映画にもなった。

そして、第41話「秘密のように甘い香りを」では、偶然、大宮で行われたライブにボーイフレンドとやって来た奈々子と再会し、メアドを交換した後、自宅に戻った春日がベッドに座って読むのが、恐竜で知られるネス湖畔の魔神伝説をモチーフとする「魔神の遊戯」である。

第40話では、「ロシア幽霊軍艦事件」の返却と交換に春日は、文から構想中の小説のプロットを書いたノートを初めて見せられる。
文がずっと交際してきたボーイフレンドも、存在すら知らない彼女の秘密のノートで、彼女が書こうとしている小説は「幽霊殺人事件」という仮題のミステリーだった。

私が大学に在学した頃は、その後に有名クラブとなった推理小説研究会は存在していなかったが、文みたいな女の子と出会っていたら、きっと1日中、島田作品について会話し、間違いなく春日よりも適切なアドバイスを行えたと思う。
いや、きっと2人で合作しようと提案しだろう。
だが、現実に文のような女性が身近にいたとしたら、友だちになりたいと思っても、恋人に進むことはしないだろう。

男女間の趣味は、まったく違うよりも、少し重なった程度の方がお互いに教え合って自分の好みを広げ合える。
特に音楽なんかは、それが理想だと思うし、私も現実のパートナーとは、そうしてきた。
でも、選りによってお互いの心の裡を読み合うことになるミステリーの大好きな作家が同じということだけは避けたいと感じる。
それでも…

10月17日スタート!ドラマ「Nのために」〜公式サイトにも未掲載の人物相関図のオリジナル版を作成・公開!

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先週月曜日に最終回を迎えたドラマ「ペテロの葬列」の終了後に流された短いテレビ・スポットを皮切りに、先週末からのシーン画像を含む予告編の公開に合わせて、19日にTBSの公式サイト中の新ドラ「Nのために」のサイトが正式版に全面リニューアルされた。→公式サイトとのリンクは、こちら

他局に比べて、TBSのドラマ・サイトは、「現場レポート」など、スペシャル・コンテンツが充実しているが、やはり一番重要なのは、ドラマの出来だ。
それはドラマが始まるまでは評価できないが、登場人物の語りが主体で物語が進むケースが多い湊かなえさんの小説は、脚色が比較的し易く、まだ初期段階の公式サイトの内容を見る限りでも、原作を既に読んでいる人でも十分楽しめる内容になりそうだ。

10月17日(金)午後10時から放送の初回は15分拡大枠だが、その「あらすじ」も公開されているし、主要キャラクター5人以外のサブキャラのキャスティングも公表されているが、肝心の人物相関図はまだ掲載されていない。
公式サイト以外の情報を含めて、原作からの改変点を中心に、ドラマの基本事項を整理するとともに、ドラマチックナビが独自に作成したドラマ版の主要人物相関図も初公開したい。

?ドラマのオリジナルキャラ・高野茂は高校生時代のヒロインを知っていた!
原作には登場しないドラマ独自の設定の元警官・高野茂(三浦友和)が物語の狂言回しを務めるとともに、10年前の野口夫妻殺害事件の真相を暴いていくことは、9月7日掲載の<どのNがNの誰を愛したか?「Nのために」〜NによるNのための解説記事を書くことにしたい…>で既に触れたところだ。→リンクは、こちら

だが、高野は現職警官の時代、つまり現在である2014年から15年前に瀬戸内海の青景島の駐在所に勤務していて、まだ島の高校に通う学生だったヒロイン・杉下希美(榮倉奈々)及び同級生の親友・成瀬慎司(窪田正孝)と顔見知りだったという新事実が判明した。

なお、原作では、希美の本籍地は「愛媛県××郡青景村37の5」とされており、ドラマにおいても「青景」という名称が引用された。

?15年前の「ある事件」とは、島の料亭の放火事件だった!
その成瀬が、原作では島にある老舗料亭の一人息子という設定であり、それはドラマでも引用されるが、大きな違いは彼が高校生の時に、料亭が焼失する事件が起き、その捜査を行った高野が、息子の成瀬と希美が放火犯ではないかと疑っていたことだ。
公式サイトでも、まだ「ある事件」としか書かれていない新事実だが、その一方で、「希美と成瀬が起こした」と断定されていることから、2人は共犯なのだろう。

なぜ2人がそんな事件を起こしたのかについては、原作にはない設定なので、ドラマを観るしかないが、元々、裕福な家庭に育った希美が、島にいる頃に父親の裏切りで暮らしが一変し、貧しい生活を余儀なくされ、東京に出てから上昇志向の女性に変わるということと深く関係しているのだろう。

そして、この15年前の放火事件と10年前の東京での殺人事件が繋がっていると高野が疑い、現在において2つの事件の真相に迫ろうとするのが、ドラマのストーリー展開のミソである。
そう、時点が異なる3つの出来事が複雑に絡み合いなから物語が進むという、小説では描き難い映像向きの大胆な設定・演出が行われている点が、、今回のドラマの最大のミソと言えよう。

?ラブストーリー的色彩を強めた人物相関とようやく明かされたサブキャラのキャスティング!
併せて前回の記事で紹介したように、被害者・野口貴弘(徳井義実)の部下となる安藤望(賀来賢人)が原作の女性からドラマでは男性に変更されたことにより、希美を巡って成瀬と共に三角関係のような結びつきとなるとともに、同じアパートに住む西崎真人(小出恵介)は、希美と信頼関係がある一方で、安藤とは対立関係にあるという、ラブストーリー的色彩を強めたことも、ドラマの優位性だろう。
そして、西崎は野口の妻・奈央子(小西真奈美)と不倫関係にあり、それを夫は知っていた。

この野口夫妻のキャスティングが公式サイトで明らかにされたことも、ポイントの1つである。
ほかに、希美の両親・晋と早苗にそれぞれ光石研さんと山本未來さん、成瀬の両親・周平と瑞穂にそれぞれモロ師岡さんと美保純さんが起用された。
他のキャスティングについては、公式サイト中の当該ページを参照してください。→リンクは、こちら

?その他の意味のある設定は、これだ!
2014年の現在は、西崎が10年の刑期を終えて出所するという設定である。
彼が希美や高野の前に戻って来ることで、封印されていた2つの過去が蘇ることになる。

原作では、大学生時代の希美と安藤は、西崎と共に同じアパート暮らしだったが、安藤は、野口が勤める大手商社へ就職したことで会社の独身寮に転出し、希美は、西崎とアパートに残ることになった。
このアパートの名前が「野バラ荘」であり、ドラマでも流用されたが、殺人事件当時、希美、安藤、西崎の3人が同じアパートに住んでいるというマイナー・チェンジが行われた。
原作が長編小説の場合、ドラマでは単純化が必要なので、合理的な改変である。

この「野バラ荘」に野口奈央子が希美を訪ねて来た時に、身分違いの西崎が彼女と顔見知りになるという原作の設定は、多分、踏襲されているのだろう。
それに対して、野口夫妻が住む高級マンション「スカイローズガーデン」48階という設定も、原作と同じである。(原作では52階建ての超高層マンションだが、不動産会社の協力を得て、都内のどの既存マンションを見立てたのか?)

ドラマの初回は、希美の高校生時代が描かれ、公式サイトには青春ラブストーリーの定番である希美と成瀬の自転車2人乗りシーンの画像が掲載されている。
さらに、この島での撮影が、9月上旬から約半月間、香川県小豆島など瀬戸内海で行われたことが、本日アップされたばかりの「現場レポート」の第2回で報告されており、島の祭りのシーンの撮影に臨んだ榮倉奈々ちゃんの浴衣姿の画像も披露されている。→リンクは、こちら

以上のことを「人物相関図」として整理したのが下の画像であり、ネット最速・最詳の今回の記事の目玉です。

ドラマ「Nのために」追加情報・第1弾〜高野が放火事件に拘る理由と希美の父親の裏切りの内容とは?

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一昨日、人物相関図を柱に先取り記事をアップしたばかりの「Nのために」の追加情報が判明した。
その記事の「追記」として補足すると、多くの読者に気づかれないことになるので、別記事化したい。

?高野茂が15年前の放火事件を執拗に追う理由とは?
社会的な関心としては、15年前の離島での放火事件よりも、10年前の高級マンションにおける殺人事件の方が高いのだが、両事件の真相を追う元警官の高野茂にとって、本命は前者の方だった。

その理由は、青景島出身の成瀬慎司(下の画像の右)の両親が島で営んでいた料亭「さざなみ」が焼失した際、高野の妻が現場に居合わせ、煙に巻かれたため、重い後遺症が残るというドラマ独自の設定にされたことだ。

元警官にとって放火犯を暴くことは、妻の恨みを晴らす意味があった訳だ。
この妻が、原日出子さんがキャスティングされた高野夏恵だろう。

?杉下希美が生活苦に追い込まれた理由とは?
前回の記事で「元々、裕福な家庭に育った杉下希美が、島にいる頃に父親の裏切りで暮らしが一変」と書いたが、光石研さんが演じる父親・杉下晋の裏切りとは不倫だった。

それも、家族が知らない間に女の住まいに入り浸り状態になったのならともかく、希美たちも暮らす自分の家に連れ込み、山本未來さんが演じる妻・早苗や葉山奨之(しょうの)君が演じる弟・洋介と共に希美は追い出されるのだ。

葉山君は、綾野剛君と同じ事務所に所属し、来年上半期の朝ドラ「まれ」においてヒロイン・津村希の弟・一徹役に抜擢されたので、まず「Nのために」で注目したい。

この父親の愛人役が、公式サイトの「キャスト」ページに表記されている柴本幸(ゆき)さんがキャスティングされた宮本由妃だとすると、雛にも希な歳の離れた美形の愛人ということになる。

柴本さんは、柴俊夫さんと真野響子さんの間に生まれた二世女優であり、大学卒業後の遅いデビューだったが、いきなり大河ドラマ「風林火山」のヒロイン役を射止めた。
小栗旬君主演、綾野君共演の映画「TAJOMARU」(2009年)でもヒロインの姫役に起用され、私にとっては、この作品での好印象が強い。



?希美と安藤の繋がりの改変とは?
原作では、希美と安藤望(上の画像の左)は、殺人事件の前年まで同じアパート「野バラ荘」に住んでいた友人同士であり、希美が安藤に将棋やスキューバダイビングを教えたという関係である。

それが、殺された野口夫妻と親しくなる要因となっており、2人がスキューバダイビングを楽しむために奄美大島に旅行した際に野口夫妻と出会い、安藤が野口貴弘の勤め先である大手商社に就職した後も、2人は貴弘の将棋相手を続けるという関係だった。

ドラマでは、こうした原作での繋がりが変更され、希美が妻の奈央子とボランティア活動で知り合うことになる。

それに対して、ドラマでの扱いはまだ不明だが、安藤もまた長崎県の離島(千早島)の出身であるとともに、名前の読み方が同じ(のぞみ)という2人の共通点が、男性に変えられた安藤が希美に想いを寄せる理由となるのは、ドラマでも流用されるのではないか。

?野口夫妻と西崎の関係は原作と同じか?
一方、野口が、会社の大きな仕事(原作では油田開発事業)で失敗し(注:この設定は、9月29日、住友商事が米テキサス州での石油開発事業に失敗し、約1,700億円もの損失を計上すると発表したことで現実味を増した。)、妻と西崎真人(下の画像の左。右は高野)の不倫を知る前から、奈央子に対してDV行為に及んでいたという原作の設定は基本的に踏襲されるようだ。

そうした中でドラマでは、西崎も子供の頃に母親から虐待を受けていたという設定にされることで、お互いに暴力に怯える心の傷が西崎と奈央子を接近させることになる。

ただ西崎が貴弘の殺害を自供し、独り刑を受けたのが、愛する奈央子を守ることがてきなかったからだけなのか、他のNに対する想いが隠されているのかが真相解明のポイントの1つとなる。



?父・夫の裏切りで娘と妻はどうなったのか?
高校2年生の夏に起きた晋の裏切りで、希美は島を出ることを決意し、東京の大学に進学するために奨学金を受けようとした。
一方、彼女の母・早苗は金にだらしなくなり、娘や息子を悩ませるようだ。

原作の第1章では、野口夫妻の殺人事件直後の警察での取り調べの記録が、希美、成瀬、西崎、安藤の順で掲載され、4人の相互関係と彼らの野口夫妻との関係が明らかにされる。
それぞれの供述は一見、矛盾していないように感じられるが、その時に明かされていないことが多々あるということだろう。

それに対してドラマでは、おそらく冒頭、10年前の殺人事件が登場し、西崎が逮捕された後、15年前の青景島における高校生時代の希美と成瀬の様子が描かれるのだろう。
そこでは料亭の放火事件や希美の父親の不倫騒動も登場するが、希美と成瀬が東京へ移るまでの経緯は第2回に持ち越されるのではないか。

なお、原作では、成瀬は東京に出てからは希美とは音信不通で、島で開かれた高校の同窓会において再会し、お互いの近況を知るという設定であるが、ドラマでは、どうだろうか。

また、ドラマでは、青景島が原作の「愛媛県」ではなく、「香川県」という設定であることも分かった。
これは前回紹介したように、青景島のシーンが小豆島(香川県小豆郡に属し、小豆島町と土庄町で構成)で撮影されたことに伴うとしたら、なかなか細かい点にまで配慮されたシナリオになっていると感じる。

同じTBSで放送された「夜行観覧車」でも脚本を担当した奥寺佐渡子さんを、原作者の湊かなえさんが信頼していると伝えられているのも、こんな気配りも作用しているのかもしれない。

佐藤健君のマイルームの本棚のDVD〜体系的に整理されていないように見えるが関心の幅が広い映画通を示す

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先日の<「惡の華」高校編のヒロイン・文ちゃんと島田荘司さんの作品を基にミステリー論を語り明かしたい!>(→リンクは、こちら)の導入部で触れた佐藤健君のマイルームの本棚に並ぶ本や映画のDVDで、どこまで彼の嗜好や性格が分かるのかについて、ようやく記事化したい。



そもそも俳優を職業とする人たちで、自分が観た映画で好きな作品や評価する作品を体系的ないしは網羅的にテレビや雑誌で語っているケースはほとんどない。
綾野剛君がその最たる例だが、彼の盟友である佐藤健君も同様である。
彼らは自分が出演した映画が俳優としてのアウトプットのすべてであり、その出演に際して事前に参考のため観た映画とか過去に観て影響を受けた映画について語らないのが、ポリシーと言うか矜持だと思う。

AKB48の元センターだった前田敦子さんが女優業をメインとするようになって、アルフレッド・ヒッチコックといった特定の監督の作品をブルーレイなどで体系的に鑑賞したり、様々なジャンルの新作映画を極力、映画館で観るようにして、その感想などを雑誌で書いているのは、元々、タレント活動を俳優としてスタートさせた訳ではないことから、本格的に映画のことを勉強しなくてはいけないという強い気持ちによるものだろう。

自分が俳優として出演したい作品と映画ファンとして好きな作品は自ずと違うが、彼らや彼女たちの嗜好や感性を知る上で、マイルームの本棚に置かれた映画のブルーレイやDVDだけでなく、その原作となり得るマンガや小説の本もあるのかということが格好の材料になるとともに、ファンなら絶対知りたい筈だ。

試しに「佐藤健 好きな映画」で検索しみると、この問いに正面から取り組んだ記事がネット上にないことが分かる。
それは、既存の雑誌やテレビ番組でも、佐藤君がこの問題にストレートに答えたことがほとんどないことを意味する。
ヒット件数55万件の9番目に他ならぬ私の第1ブログの記事が掲示されるが、これは佐藤君の親友である同じ事務所の三浦春馬君の好きなタイプの女性について書いたものであり、いまだ検索エンジンの精度はこの程度のレベルである。

佐藤君の趣味は、読書、マンガ、映画観賞、女子バレーボール観戦、チェスとされ、今回の記事では最初の3つを具体的に取り上げることになる。
また特技は、今回の記事の元ネタになった7月20日(日)放送の日本テレビ系「おしゃれイズム」でも、パーソナリティの1人である藤木直人さんが彼と対戦したルービックキューブとオセロゲームのほか、CMでも披露したブレイクダンスである。



このうち、ルービックキューブは本棚に何個も置かれいること(上の画像)やオセロゲームのノウハウ本「強くなるオセロ」があること(下の画像)でも証明された。



好きなマンガは「名探偵コナン」であり、その事実も本棚に置かれた青山剛昌さんの直筆の色紙で分かる。(下の画像)
一方、好きな俳優はジョニー・デップ、好きな映画監督はティム・バートンということであり、大ヒット作を連発した黄金コンビ好きが本棚のDVDで裏付けられるかが、チェックポイントの1つとなる。



上に掲載した画像のうち、ルービック・キューブが置かれた段の上には、「スター・ウォーズ」3部作の箱入りセット版があることに注目したい。
一方、「強くなるオセロ」の本がある段には、映画化された「ダレン・シャン」の原作本シリーズの1巻や二宮和也君の主演映画「プラチナデータ」の東野圭吾さんの原作本の文庫版のほか、今年の3月に出版されたばかりの雫井脩介さんの「仮面同窓会」の単行本(幻冬舎)や佐治春夫さんの「THE ANSWERS すべての答えは宇宙にある!」の単行本(マガジンハウス)もある。

加藤千恵さんの「卒業するわたしたち」(小学館)、水道橋博士の「藝人春秋」(文藝春秋)、「池田修三木版画集 センチメンタルの青い旗」(ナナロク社)といった単行本まで並んでいることに気づくと、やはり「佐藤健は、只者ではない」と感じざるを得なくなる。

それらの本の間に混じって、ナタリー・ポートマンがアカデミー賞主演女優賞を獲得した「ブラック・スワン」のDVDの右隣りには、日本映画「鍵泥棒のメソッド」のブルーレイ、左隣りには歌手のMISIAさんのDVDなどもある。
なかなか良い趣味だと思いつつ目を凝らすと、豪華な女優陣が生かされなかった日本映画の凡作「FLOWERS-フラワーズ」のブルーレイまで置かれている。
一見、無秩序に並べられた印象だが、佐藤君の頭の中では何らかの感覚的な繋がりがある多様な嗜好を示した段だと思う。

そしていよいよ「映画はどういう系が好きなの?この辺、バアッと並べられているけれど」と、上田晋也さんがコナンの色紙がある上の段を指差した。
その段は、確かに映画のブルーレイとDVD、外国映画と日本映画が混在するだけでなく、テーマやジャンルも無秩序で、「男はつらいよ」など同じシリーズ作が1つに纏められている訳でもない。

下の2つの画像の左側から視認できた作品名を列挙すると、以下のとおりとなる。(☆印は外国作品、★印は日本作品)

☆ディア・ハンター
☆ロミオとジュリエット(レオナルド・ディカプリオ版ではなく、オリビア・ハッセー版のようだ)
☆羊たちの沈黙
★ウール100%
★恋愛寫眞
☆麗しのサブリナ
☆ティファニーで朝食を
☆英国王のスピーチ
☆エターナル・サンシャイン
★容疑者Xの献身
☆道
★男はつらいよ・シリーズ1本+2本



★北の国から・シリーズ3本
★私をスキーに連れてって
★彼女が水着にきがえたら
☆セレンディピティ
☆シェイクスピア・シリーズ?「から騒ぎ」など
☆RENT(映画版ではなく、ブロードウェイのミュージカル版)
☆ツォツィ
☆マンデラの名もなき看守
☆キッズ・オールライト
☆ピーターパン
☆シンデレラボーイ
☆キック・アス
★僕らの方程式
☆マイ・ブルーベリー・ナイツ
★八日目の蝉
★ロミオとジュリエット(蜷川幸雄さん演出の舞台版)



佐藤君は、「その時の気分でいろいろなジャンルのものを観る」と語ったが、最近ようやく観るようになったホラー作品はレンタル専用なのか本棚にはなかった。
アミューズに所属するだけに、ミューシガルや演劇への強い関心が窺われ、オードリー・ヘプバーンの代表作が2本並ぶ一方で、映画通でないと観ないアフリカ繋がりの作品が2本並ぶことにも注目した。
一時、若者の人気を集めたホイチョイプロダクションの2作が揃っているのも、多嗜好性を示す。

自身の最大のヒット・シリーズ「るろうに剣心」の最終作に特別出演してくれた事務所の先輩・福山雅治君の初の主演映画のDVDがチャンとあるのは、ご愛嬌だ。
演劇やミュージカルは別にして映画作品に限ると、私が観ていない作品は、富永まい監督の「ウール100%」と内田英治監督の「僕らの方程式」くらいだ。

「すべてがFになる」の主人公である犀川創平の説では、身の回りの本などが乱雑に置かれている人間の頭の中は体系的に整理されているのに対して、本などが物理的にキチンと整理されている人間の頭の中は逆に混沌としているという見方が正しいとすると、佐藤君は前者のタイプと言える。

映画ファンではない佐藤君のファンの女性たちには、彼のウエイトが高い外国映画のうち、せめて未見の作品を5本選んで観て欲しい。
駄作はないことを保証したい。

なお、今回、1枚の拡大写真で公開された範囲では、ジョニデ&バートン作品は1つもなかった。

朝ドラ「マッサン」スタート!紅白出場と空前のシングル1位記録に向け、中島みゆきさんも発進!

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※ この記事は、シークレット・ブログ化した第5ブログに8月15日に掲載した記事を短縮しつつ、今日時点の追加を行って公開するものである。
                            ◇ ◇
今朝から朝ドラの新シリーズ「マッサン」がスタートし、中島みゆきさんの主題歌「麦の唄」が流れるタイトルバックも、前シリーズ「花子とアン」の乙女チックなイメージからビジュアルを一新させた。
一面の麦の金色とみゆきさんの歌声が輝く、主人公カップルのドラチックな人生と国産ウィスキーを育んだ北海道の雄大な自然を象徴するスケール感溢れる映像だ。
今回、みゆきさんが初めて朝ドラの主題歌を手掛けたのは、北海道繋がりということも大きな要因だろう。

このエポックに合わせるかのように、主題歌のシングル盤の10月29日発売に続き、40枚目のオリジナル・アルバム「問題集」が11月12日に発売、さらにライブ・アルバム、ライブ映像作品と4作連続のソフト・リリースが予定されている。
年末の紅白歌合戦への出場も期待できる。



今朝の朝ドラの第1回を観ていて、かつて広島に出張した際、竹原ではなく東広島市の酒蔵巡りを敢行したのを思い出した。
兵庫県の神戸市・灘地区に次ぐ西の「酒都」の街には、日本酒の香りが漂っていた。

さらにオープニング・シーンでは、これも2回目の札幌出張の際、バスで積丹半島の先端まで単独行した途中、余市で下車し、「マッサン」のモデルとなったニッカの余市工場を見学したことも蘇った。
展示フロアには、ドラマと同様、スコットランド衣装のチェック柄のスカートを穿いたガイドの男性がいた。

この時の4泊5日の北海道旅行のフィニッシュが、「そこのみにて光輝く」の舞台となった函館での1泊だった。
やはり「麦の唄」で、みゆきさんには久しぶりにオリコン・チャートのシングル曲1位を獲得して欲しいなあ。
そうすれば、ウィスキーかビールの麦を原材料とする酒で祝杯を上げることができるのに!

少なくともシングルCDの売上では、AKB48を筆頭とするガールズ・ユニットの全盛期が予想以上に長く続く今の日本のポピュラー音楽の世界において、ソロのシンガーソングライターでヒットチャートの1位を獲れるのは福山雅治君と桑田佳祐さんぐらいだ。

その福山君と桑田さん、さらには彼が率いるサザンオールスターズのデビュー以来のシングル1位曲のデータ整理を完璧に行いつつ、みゆきさんの偉大な記録を整理・分析したのが、第5ブログの<真の意味で"神"と呼ぶに相応しい歌姫・中島みゆきさんの絶対、塗り替え不可能なシングル売り上げ記録が、この秋、更新されるか?>だった。

まず、みゆきさんは、1970年代から2000年代までの4つの年代でシングル1位曲を生み出した最初の歌手だ。
具体的には、次の曲がチャート1位に輝いた。(曲名の後の数字は、シングルの順番とリリース年)

☆1970年代:?「わかれうた」(5th/1977年)
☆1980年代:?「悪女」(11th/1981年)
☆1990年代:?「空と君のあいだに/ファイト!」(31th/1994年)、?「旅人のうた」(32th/1995年)
☆2000年代:?「地上の星/ヘッドライト・テールライト」(37th/2000年)

それに対して、サザンオールスターズは、1980年代から2010年代までの4つの年代でチャート1位という記録を持つ唯一のグループである。
ところが、ソロ・シンガーとしての桑田さんに先んじて、1990年代から2010年代までの3つの年代で1位を獲得したのが福山君だ。

一方、持ち歌としての記録でサザンに並ばれたみゆさきんは、桑田さんや福山君ですら達成不可能な凄い記録を既に実現している。
それは、次に掲げるように、他の歌手への提供曲でも1970年代から2010年代までの5つの年代において1位を獲得していることだ。

☆1970年代:?「あばよ」(研ナオコ・1976年)
☆1980年代:?「FU-JI-TSU 」(工藤静香・1988年・作詞のみ)
☆1990年代:?「慟哭」(工藤静香・1993年・作詞のみ)
☆2000年代:?「宙船」(TOKIO・2006年)
☆2010年代:?「泣いてもいいんだよ」(ももいろクローバーZ・2014年)

この先行記録に加えて、「麦の唄」でも1位を獲得できれば、ダブルで5つの年代でのベスト・ワンを達成することになる。
これは、日本はもとより世界でも例のないギネスに登録すべき偉大な記録である。
みゆきさんの歌に「歌姫」という曲があるが、シンガーソングライターとしてこの敬称が一番相応しいのは、もとよりみゆきさんだ。

「ゲゲゲの女房」の主題歌「ありがとう」の名曲ですらも、ヒットチャート2位に止まるような現在のミュージック・シーンにおいて、かつてのように高視聴率ドラマとのタイアップがCDセールスに寄与する効果は限定的だ。
その一方、女性アイドル・ユニット全盛の中で、ヤンキースの田中将大投手の強力なバックアップがあるにも拘わらず、なぜかこれまで1位をゲットできなかった「ももいろクローバーZ」が今年、初のシングル1位に輝けた曲は、みゆきさんから提供されたものだ。

その「泣いてもいいんだよ」とカップリングされた「麦の唄」が発売週に1位を奪取できるよう、ももクロ・ファンも協力というか恩返しして欲しい…というのが、みゆさきんのファンからのラブコールである。
朝ドラ・ファンもドラマを観るだけでなく、たまには主題歌のCDを買って欲しいし、久しぶりの紅白出場への何よりの勲章としてNHKの全職員も協力して欲しい!

ローマ観光必携!地上波初放送「映画 ホタルノヒカリ」のすべてを語り尽くした超絶解説のリンク・リスト

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一昨年の6月9日に公開された「映画 ホタルノヒカリ」が、ようやく実家である日本テレビ系の「金曜ロードSHOW!」で明日夜の9時から通常の放送時間枠(114分)で地上波初放送される。
フジテレビでは公開から1年後に地上波初放送するケースが少なくないが(「テルマエ・ロマエ」、「ストロベリーナイト」、「真夏の方程式」など)、本作の場合、ポスト「八重の桜」初の綾瀬はるかさん主演ドラマが日本テレビで実現することが内定した段階で、その放送開始に合わせて本作の初放送を行うことで、新ドラと「金曜ロードSHOW!」の視聴率の上乗せを狙ったのだろう。

ところで、映画が地上波のテレビで放送される場合、エンドロールが全面的にカットされるか、テレビ用の簡略版に差し替えられるのが普通だ。
本作の場合、エンドロールでドラマ版の懐かしいシーンが流れるとともに、綾瀬さんがオードリー・ヘプバーンの主演映画の超有名な主題歌(ヒントは、下のチラシ画像における蛍のコスチューム)を歌うという仕掛けがあるので、オリジナルのままの放送が望ましいが、上映時間110分だから15分程度はカットされるだろう。
その結果、エンドロールの処理がどうなったのかを私は一番注目したい。

さて、昨夜、第1ブログにアップした<"国民的女優"とは何者か?~吉永小百合さんから綾瀬はるかさん、そして朝ドラのヒロイン女優まで>(→リンクは、こちら)と題する記事を書いた。
当初、こちらの記事の前振りとして書き始めたが、長くなったので別扱いにしたもので、アンダーコントロールできるテレビや雑誌では特別扱いされる綾瀬さんに対して、ネットでは「大コケ女王」とか「出演映画10連敗」といった歯に衣を着せない記事も見られる中で、極力、ニュートラルに書いたつもりなので、併せてお読み戴ければと思う。



【Ⅰ.「ホタルノヒカリ」入門編】
ファーストシーズンの放送から既に7年余経過した「ホタルノヒカリ」のドラマ版を観たことがなく、今回の映画版で初めて観る視聴者も少なくない筈だ。
そんな初心者向けの「入門編」的な記事が、第1ブログに映画の公開前に掲載した次の2本の記事である。

☆#01=蛍の天然キャラとぶちょおとの迷コンビぶりが炸裂!編→リンクは、こちら
2012年5月14日に開催された「完成披露試写会」での綾瀬はるかさんと藤木直人さんの舞台挨拶の様子やインタビューを流した日本テレビ系の情報・バラエティ番組の内容の紹介したもの。

☆#02=映画の中で蛍は何回"ぶちょお"と呼んだか?編→リンクは、こちら
「ホタルノヒカリ」の基礎知識を紹介したもので、「STEP①=「干物女」とは一体何ぞや」、「STEP②=5分で分かる!ドラマ『ホタルノヒカリ』」、「STEP③=『映画 ホタルノヒカリ』を10倍楽しめるクイズ!」の三部構成である。
このうち「STEP③」はクイズ形式であり、次の5問からなるので挑戦して欲しい。

[クイズ①] 「映画 ホタルノヒカリ」にも登場したイタリア・ローマが舞台の有名なラブロマンス映画とは?
[クイズ②] ドラマ版から話題となった「ぶちょお」と言う台詞を「映画 ホタルノヒカリ」の中で蛍は何回、繰り返したか?
[クイズ③] 2人が訪れるローマの名所の1つ、「トレヴィの泉」の言い伝えでは、「後ろ向きにコインを投げると願いが叶う」と言われており、1枚だと「再びローマに来ることができる」、2枚だと「大切な人とずっといられる」、さて3枚だと、どんな願いが叶うでしょうか?
[クイズ④] 放送局の地元の女性が、綾瀬さんに聞きたいことは?
[クイズ⑤] 映画のはるか的マストポイントは?

【Ⅱ.ストーリー展開の予想・解説】
私の解説記事は、公開前に予告編情報などで本編のストーリー展開を予想することを特色の1つとしているが、公開前日の2012年6月8日に第1ブログに掲載した次の記事もそうである。

★#03-=蛍とぶちょおの愛はローマに通じる?編→リンクは、こちら
「登場人物と基本設定」と「ストーリーの展開と見所のポイントの私的予想」からなる。

そして、映画を観てから、本編冒頭からエンドロールまでシーンの登場順にチェックポイントを追う、以下の5回シリーズのコメンタリー形式の解説を書いた。
当然ながら予想記事の内容が外れていた点があるので、適宜、訂正した。

★#04=冒頭からエンドロールまでのチェックポイント・コメンタリー①→リンクは、こちら
冒頭の時期設定は2012年・冬。この回では「オープニングからローマ到着まで」を再現した。

★#05=冒頭からエンドロールまでのチェックポイント・コメンタリー②→リンクは、こちら
この回では、「『ローマの休日』気分は、コロッセオ前でいきなり雲散霧消」から「『イタリアの干物女』登場」までを再現した。
松雪泰子さんが演じた「イタリアの干物女」こと冴木莉央が登場し、本作のキャラ設定のキモである「日伊・干物女」対決となる。

★#06=冒頭からエンドロールまでのチェックポイント・コメンタリー➂→リンクは、こちら
続いて、「またしても三角関係・四角関係のトラブルが勃発?」から「ぶちょおの携帯からから謎の電話が誘拐事件を告げる!?」までをフォロー。
ドラマ版でも蛍とぶちょおを巡る三角関係・四角関係がストーリー展開の基軸となっていたが、映画版では如何!?

★#07=冒頭からエンドロールまでのチェックポイント・コメンタリー④→リンクは、こちら
物語はクライマックスへと加速する。
この階では、「ウェディング・ドレス姿でローマからチヴィタへ激走」から「莉央の過去とぶちょおの誘拐劇の真相が分かる」を経て、「捨てられた写真と『白い粉』を巡る最後のドタバタ」までと、映画の一番の見所を再現した。
綾瀬さんが女優として本格的に注目されることになったドラマ版の「世界の中心で、愛をさけぶ」(2004年)でも見せた「陸上女子」としての健脚ぶりが炸裂する。

★#08=冒頭からエンドロールまでのチェックポイント・コメンタリー⑤→リンクは、こちら
最終回は、「蛍とぶちょおの『ローマの休日』は馬車での駆け足」から「ローマからの帰国の日~教会ウェディング」を経て、「干物娘(息子)を懐妊!~エンドロール」までをカバー。
最初に触れたように、「エンドロール」のパートまでチャンとお読み戴きたい。



【Ⅲ.キャスト関係の解説】
主役の綾瀬はるかさんと藤木直人さんだけでなく、ローマ行きの国際線の旅客機の中で知り合う「イタリアの干物女」の弟・冴木優に扮した手越祐也さんのペットについての記事も書いた。
さらに、ハリウッド映画ではお約束の1つである「カメオ出演」についても書いた。
一方、綾瀬さんについては、NHKの「あさイチ」のプレミアムトークに出演した際のトーク内容を基に2本のプロフィル紹介記事を書いた。

☆#09=SP番外編 綾瀬さんと藤木さんが明かせなかった恥かしい秘密とは→リンクは、こちら
「綾瀬はるかさんの秘密=オーディションに行った理由は?」と「藤木直人さんの秘密=子供の時にできない事への挑戦を止めた理由は?」からなる。

☆#10=ヒロイン・蛍の脚力を培った綾瀬はるか=スポーツ少女の子ども時代からデビューまでの素顔と神話を公開→リンクは、こちら
広島の実家で飼っている愛猫コトラとのツーショット、お兄さんとの少女時代のツーショット、デビュー当時の姿、得意の変顔の画像を掲載した、本ブログの中で長期にわたって多くのアクセスを集める人気記事である。

☆#11=綾瀬はるかさんのファッション・センスを中谷美紀さんが語り、美顔の秘訣を本人が明かす→リンクは、こちら
この記事も、前項と並ぶ定番記事である。

☆#12=SP番外編 手越君の雌の愛犬は飼い主に恋し、欲情している!?→リンクは、こちら

☆#13=特番の核心① カメオ出演とスペシャル出演は誰で、どこで登場するか→リンクは、こちら
「カメオ出演は、ドラマ版の準レギュラーだった!」と「ぶちょおのダンスの相手は蛍ではなく、世界的なカリスマ・ダンサーだった!」の2項目からなり、Ⅱのストーリー解説とリンクしている。

【Ⅳ.映画の舞台・ロケ地の紹介】
私の全ブログを通じた定番項目である映画の各シーンの舞台設定とロケ地の詳細解説記事である。
ローマを訪れる計画のある読者は必読だ。

★#14=特番の核心② 友だちに差をつけるローマ・ロケのマル秘話題7連発→リンクは、こちら
まず本作のローマ・ロケに関係する裏ネタやオフタイムのエピソードを総論的に一挙紹介。

①蛍にローマ行きを決意させたのは、やはり二ツ木夫妻だった
②ヴェスパでのローマ巡りは台車の上
③スペイン階段での飲食は禁止、暑さでジェラートが直ぐ溶けるのが最大のネック
チョコとバニラのダブルコーン
④イタリア人スタッフも、ゴロゴロ~マを楽しんだ
⑤イタリア式撮影ルール
⑥ロケ弁はボリュームたっぷり
⑦オフタイムのエピソード

★#15=公開SP ローマ・ロケ地マップ=オードリー×綾瀬はるか×上戸彩の3人が訪れた名所→リンクは、こちら
本作と「ローマの休日」、ソフトバンクのCMに共通するローマの名所について書いた記事。

★#16=「ローマの休日」「ホタルノヒカリ」 映画の見所となるスペイン広場の由来と相応しい名前を知っていますか→リンクは、こちら
「ローマの休日」と言えば、スペイン広場(スペイン階段)を思い浮かべる人が多いが、そこでアン王女が食べたジェラートの種類については、第5ブログで記事化した。
それに対して、ぶちょおが蛍のために買いに走ったジェラートの1つが、「チョコとバニラのコーン」であることを確かめて貰いたい。(下の画像)



★#17=鑑賞緊急SP 高野蛍はローマをどう巡ったのか~完全解説=前編→リンクは、こちら
以下、3部作の記事により、雨宮蛍、改め高野蛍が、ぶちょおこと、高野誠一と新婚旅行を兼ねて訪れたローマの地をどう巡ったかを、ローマの空港に降り立った場面から完全フォローアップした。
ネット上に存在する唯一・完全なるロケ地解説である。

①アリタリア航空の機内シーンもローマで撮影
②フィウミチーノ空港(レオナルド・ダ・ヴィンチ空港)
③スペイン広場
④コロッセオ
⑤トレヴィの泉など
⑥ボルゲーゼ公園
⑦カシーナ・ヴァラディエール(カジーナ・ヴァラディエール)

★#18=鑑賞緊急SP 高野蛍はローマをどう巡ったのか~完全解説=中編→リンクは、こちら
⑧ヌオーヴァ・ステッラ
⑨ピアノ・バー「マスカーニ」
⑩コルソ通り
⑪謎の場所
⑫フォロ・ロマーノ
⑬ポポロ広場
⑭ピアッツア・ダルマツィア交差点

★#19=鑑賞緊急SP 高野蛍はローマをどう巡ったのか~完全解説=後編→リンクは、こちら
⑮蛍が奮闘するローマ近郊の街中
⑯チヴィタ・バーニョレージョ
⑰ボルゲーゼ公園&カシーナ・ヴァラディエール
⑱共和国広場(レプッブリカ広場)
⑲トレヴィの泉
⑳パンテオン(下の画像)、サン・タンジェロ城など
<21>スペイン階段
<22>セントポールズ・ウィズインザウォール教会



【Ⅴ.関連記事】
関連記事として、本作がモデルとした「ローマの休日」において、オードリー・ヘプバーン演じるアン王女が宿舎から脱走して、ローマ市内をどう巡ったかを解説した。
こちらも完全版となる記事であり、蛍のコースと比較して欲しい。

ただし、名所名の頭部の丸数字は、前項とは対応しておらず、「ローマの休日」の「製作70周年記念デジタル・ニューマスター版」のDVDに封入された「ローマの名所めぐり」のチラシに付けられた番号である。

☆#20=のアン王女はローマの観光名所をどう巡ったか①→リンクは、こちら
①パラティーノの丘
④ブランカッチョ宮殿
⑤共和国広場(レプッブリカ広場)
⑥セプティミウス凱旋門
⑦マルグリッタ通り51番
⑧ポッカ・ディ・レオーネ通り

☆#21=のアン王女はローマの観光名所をどう巡ったか②→リンクは、こちら
⑨トレヴィの泉

☆#22=のアン王女はローマの観光名所をどう巡ったか③→リンクは、こちら
⑩スペイン広場の「スペイン階段」、「トリニタ・デイ・モンティ聖堂」、「パルカッチャの噴水」
⑪パンテオン
⑫カフェ・ノテーゲン

☆#23=のアン王女はローマの観光名所をどう巡ったか④→リンクは、こちら
⑬コロッセオ
⑭ヴェネツィア広場

☆#24=のアン王女はローマの観光名所をどう巡ったか⑤→リンクは、こちら
⑮サンタ・マリア・イン・コスメディン教会/真実の口

☆#25=のアン王女はローマの観光名所をどう巡ったか⑤→リンクは、こちら
○望みが叶う壁
⑯サン・タンジェロ城/サン・タンジェロ橋

最後に、本作のブルーレイ/DVDのセールスポイントなどについて辛口のコメントを行った記事である。
★#26=映画ファンには、この内容のブルーレイ/DVDで「ヘルタースケルター」の千円高はいかがかと…→リンクは、こちら

以上、全26本。
映画の公開時には、ここまで詳しい記事を読んでくれたネットユーザーは多くなかったが、地上波初放送を機に再注目されることを期待している。

第5ブログ「晴れドキドキ友衣子、のち剛、そしてダ・ヴィンチとみゆき」10月23日(木)再公開!

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今年5月にライブドアブログとしてスタートした「晴れドキドキ友衣子、のち剛、そしてダ・ヴィンチとみゆき」は、諸般の事情により、8月中旬以降、「シークレット・ブログ」化を続けて来ました。

そうした中、昨年10月22日に東京プリンスホテルで開催された「東京ドラマアウォード2013」の授賞式から1年を迎えようとしています。

この記念すべきイベントにおいて、「単発ドラマ」部門で「優秀賞」を獲得した「特集ドラマ ラジオ」のスタッフ・キャストを代表して登壇(下の画像)した翌日から、刈谷友衣子ちゃんは公の場から姿を消したまま、今日に至っています。



このため、まだ復帰の時期が不透明なままの彼女のことを想い、10月23日(木)午前0時をもって第5ブログを「一般公開」に戻すことにしました。

ただし、同日以降、新規に掲載する記事は基本的に「プライベート記事」扱いになるなど、具体的な運営方針の変更については、公開後に各記事ページの冒頭に表示される「メッセージ・ボード欄」で告知します。

これに先立ち、アメーバの第1ブログ「シネマナビ21」では、「ウィズネームは死んでいない!よりディープにスケールアップして、ここだけで読める記事を作成・掲載中」の記事(→リンクは、こちら)を掲載し、シークレット・ブログ化の期間中(8月15日~10月22日)に作成・掲載した新規記事のリンク・リストを更新しています。

公開日までに各記事のポイントが一目で分かるこのリストをチェックし、各記事に貼ったリンクで公開後、ダイレクトにアクセスされることをお勧めします。

なお、今回の措置との関連で、本ブログでの新規記事は、多くの読者に読んで戴くのに相応しいテーマと内容であると私が判断した記事のみを、極めて限定的かつ断続的にアップできればと考えていますが、すべて体調次第です。

それに最近、頑張って本ブログに新規掲載した新ドラ「Nのために」の解説記事3本のうち、一番具体的に解説した人物相関図付きの記事が、明日のドラマ・スタートを迎えてもアクセスが低調であったり、佐藤健君のマイルームの本棚の記事へのアクセスも期待外れに終わりました。

さらに予想していたとはいえ、「映画 ホタルノヒカリ」の解説記事へのアクセスが、「真夏の方程式」の地上波初放送の際のアクセス激増と比べて、わずか1/10に止まったのには失望しました。

先日、本ブログで記事化した中島みゆきさんをはじめ、サザンオールスターズや福山雅治君といった「国民的歌手」や「国民的人気シンガーソングライター」はいても、「国民的女優」や「国民的人気女優」は今の日本には不在であると思い知らされました。

いずれにしても、読者ニーズと私の判断とのギャップを痛感しているところであり、新規記事の作成に躊躇している状態です。

以上、継続的に本ブログにアクセスして戴いている読者の皆様に、お礼方々、お知らせします。

ノーベル物理学賞受賞の千載一遇の機会を番宣に利用できなかった「すべてがFになる」のロケ地は、ここ!

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【ノーベル賞受賞者・天野浩名古屋大学教授の文部科学大臣表敬の機会を生かせなかったフジテレビの大失策!】
NHKの「ニュース7」は、NHKのみならず日本のテレビのニュース番組で一番視聴率が高い筈だが、10月7日(火)の午後7時からの放送枠が、今年のノーベル物理学賞の発表のタイミングとドンピシャだったことで一番喜んだのは、受賞者の一人である赤崎勇先生が所属する名城大学だっただろう。

私も10年近く前にお話を聴く機会があった赤崎先生を終身教授として遇するとともに、毎年、ノーベル賞発表の季節になると記者会見の準備を行っていた名城大学の取組みが無駄にならず、先生の記者会見現場からの生中継映像が「ニュース7」を30分近くも独占できたことの広告効果は、数億円のレベルに止まるものではないからだ。

それに対して、昨夜スタートしたフジテレビ系の「すべてがFになる」の場合は、原作における愛知県が舞台という設定を神奈川県に変えたために、同時受賞の天野浩教授が名古屋大学に所属しているという千載一遇のチャンスを失する残念な結果になった。

このドラマの舞台の変更については、第1ブログ「シネマナビ21」の<10月21日スタート「すべてがFになる」解読の鍵となる5つのキーワード②:A・NではなくK・S> (→リンクは、こちら)で詳しく書いたので重複を避けるが、原作の愛知県那古野市にある国立N大学を「国立那古野大学」とすれば良かっただけであるのに、神奈川県の某市にある「国立神南大学」としたことで失ったものは少なくない。

この「すべてがFになる」に限らず、原作者から映像化権を取得さえすれば、よほど原作者の意向に沿わない限り、ドラマや映画の制作スタッフたちは、登場人物や物語の流れ、さらには結末ですらも改変することができる。
その結果、原作に忠実に制作するよりも、ドラマや映画としての完成度が高まり、既に原作を読んでいるファンだけでなく原作者自身も、別の映像表現の世界を楽しむことができて良かったと感じる場合もある。

だが、舞台となる街の風土や風景が色濃く反映された原作の場合、制作者サイドのコスト面などの理由で別の場所に変えてしまうことには、私は基本的に反対する。
上記の記事で触れたように、ドラマの主役の2人(武井咲さんと綾野剛君)の出身地がズバリ名古屋と近隣の岐阜であるだけに、東海地域に住む原作、さらには2人の主演俳優のファンたちにとって、明確な必然性のない神奈川県に一方的に変更されたことは、残念と言うよりも無念である。

今日の午前中、赤崎先生の愛弟子である天野先生が上京し、国立大学や科学技術振興を所管する下村博文文部科学大臣を表敬訪問したが、その後、フジテレビが単独インタビューをセットし、那古野大学工学部の3年生という設定の西之園萌絵に扮した名古屋出身の武井さんから花束を贈呈し、リケジョ談義でも交わして、「とくダネ!」などの情報バラエティ番組で流したら、絶好のタイミングでの番宣になることができたのにと悔やまれる。

特にテレビドラマの場合、こうした問題が生じがちであるのは、フジテレビだけでなく在京のマスコミが東京中心の視点で地方を見ている体質が無意識に出てしまうことが一因だと思う。
実際、ドラマの第1話では主要なシーンは東京都内、千葉県内、神奈川県内の広域で撮影しており、神奈川県下では、神奈川県内陸工業団地内(厚木市上依知)とその一角にある日本空調冷凍研究所くらいである。
全国の視聴者が一目で分かる神奈川県のランドマークが出て来ないようでは、神奈川の武井・綾野ファンもガッカリだろう。

そもそも制作のコストや手間と言っても、次項で取り上げる神南大学の工学部という設定の建物は、登場人物と一緒に映る訳ではない。
名古屋の系列局である東海テレビのスタッフが、名古屋大学のキャンパスで撮影した映像を編集で挿入すれば済むレベルの問題である。
先週一足先にスタートしたTBS系のドラマ「Nのために」が、原作の設定を踏まえて小豆島など瀬戸内海で本格ロケを敢行したことを見習って欲しいものだ。

以上、最初に苦言を呈したが、その神南大学の工学部の建物は、テレビ・ドラマの常連の素材であることを次項以降で説明したい。



【神南大学工学部の由緒ありそうな建物は、東京海洋大学越中島キャンパスの登録有形文化財】
昨夜放送のドラマの第1話のエンドクレジットでは、撮影場所が「撮影協力」の団体名として表記された。
私が注目した主要な撮影場所は以下のとおりであり、それぞれドラマでの設定場所を付記することにする。(ただし、①以外は裏付けが取れていない推察レベル)

①東京海洋大学…神南大学工学部建築工学科の建物の前景カット(次項で画像を掲載)
②流山市南部中学校
③日本空調冷凍研究所(公式サイトのトップページに建物の全景写真を掲載→リンクは、こちら)…神南大学極地環境研究センター(上の画像)
④千葉経済大学…萌絵が刑事の鵜飼大介から捜査資料を見せて貰う神南大学の学生食堂内のシーン(下の画像)
⑤東京武道館…萌絵が部活で弓道をたしなむシーン

これらのうち、特に取り上げる必要があるスポットは①であり、過去に毎年、何度も様々なドラマなどに登場した名所と言っていい歴史的建築物なのだ。



【東京海洋大学越中島キャンパスの一号館とは?】
東京海洋大学は、2003年に東京商船大学と東京水産大学を統合して設置された国立大学である。
品川と越中島にキャンパスがあり、神南大学工学部の建物に見立てられたのは、旧東京商船大学跡地に再整備された海洋工学部がある越中島キャンパス の1号館の建物である。

住所は、東京都江東区越中島2-1-6であり、同大学の公式サイトには、キャンパスの位置図とアクセス方法が分かるページもあるので、訪れてみたいと思う読者はご覧ください。→リンクは、こちら

この建物については、ウィキペディアの大学紹介ページにも画像が掲載されているが、文化庁の公式サイト中に「東京海洋大学越中島キャンパスの西洋建築 明治の煉瓦造建物と昭和初期の鉄筋コンクリート造建物」と題する、「第一観測所・第二観測所」を含めた解説ページがあり、画像も収録されているので、是非、お読み下さい。→リンクは、こちら

それによると、関東大震災により東京商船大学の多くの校舎も倒壊したが,1932年(昭和7年)に再建されたのが一号館であり、鉄筋コンクリート造3階建てで,外壁には、フランク・ロイド・ライトが設計した旧帝国ホテルで採用された様式が取り入れられている。

登録文化財として歴史的な価値があるこの建物が、犀川創平が勤める大学の建築学科の研究室がある校舎として選ばれたのは、彼の専攻が「建築史」であることを踏まえたものだろう。



だが、この建物を含む越中島キャンパスは、これまでも度々、ドラマなどに登場しており、ウィキペディアには「2005年度は19回のロケが行われている」と記されている。
その後もそんな状態が続いており、文化庁のページでは、「2010年度は16件」、具体的には、NHKのドラマ10「10年先も君に恋して」やフジテレビのドラマ「監察医 七浦小夜子」などで撮影されたと紹介されている。

さらに、テレビ朝日の人気ドラマとして今クールでシーズン3が放送されている「ドクターX ~外科医・大門未知子~」のシーズン2(2013年10月~12月放送)でもロケ地として選ばれた。
こちらも、詳しい紹介ページがあるので、併せてお読み戴きたい。→リンクは、こちら

う~ん、私と違ってドラマ好きの読者は、「また東京海洋大学か!」と既視感を持たれただけだとすると、少し残念である。
綾野君は、ドラマの公式ページのインタビューでも建築には関心があり、特に「階段」が好きだと語っている。

それに対して、私は全国各地への出張の機会の際、美術館巡りだけでなく、歴史的建築物を訪ねてスライド用の写真を撮影していた時期があった。
名古屋も東京と同様、終戦の年に大空襲に見舞われて焼け野原になったが、歴史的建築物は幾つか残っている。

「ロケハンも手抜きか」と問われると、「すべてがFになる」のスタッフたちは、毎日実験を繰り返し、失敗しても楽しかったと語った天野先生が手掛けた青色発光ダイオードよりも真っ青になったりして!

初回視聴率が同一のアルファベット・ドラマ対決「Nのために」と「すべてがFになる」を総合的に比較する!

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それぞれ先週金曜日と今週火曜日にスタートした2つのミステリー系ドラマである「Nのために」(TBS系)と「すべてがFになる」(フジテレビ系)の平均視聴率(ビデオリサーチ調べ、関東地区)は、奇しくも11.8%と同率だった。

ドラマの全体構成上、少なくとも第3回を観終わるまでは、それそれのドラマの出来について論評を避けるべきと私は考えていた。
しかし、ネット上の見方は性急であり、初回が終わった段階で、タイトルにアルファベット1文字がキーワードとして入れられたという点のみで共通する異質なドラマを同列に扱って比較するだけでなく、主演俳優に対する好悪などに囚われて批判する動きが噴出しつつある。
これは、およそミステリー作品の評価として論理的でなく、感情論過ぎると思う。

本ブログでは「Nのために」、第1ブログ「シネマナビ」では「すべてがFになる」と棲み分けて、1ヵ月も前から解説記事を掲載し始めたが、共にドラマがスタートするまでアクセスは散々で、中でもブロガーとしては一番読んで欲しかったオリジナルの主要人物相関図入りの両者の記事へのアクセスが最悪だったことも共通している。

そして、先週金曜日以降のアクセス数は、記事数が3本だけの「Nのために」の圧勝であり、その意味でドラマの初回を観た原作ファンの評価と軌を一にしているとも言える。
だが、それぞれのドラマの原作の特質やスタッフのアプローチの違いをキチンと押さえた上で、第2回以降の展開を冷静に見守るべきだと思う。

この記事は、「すべてがFになる」に関する記事を、これまで掲載した第1ブログから第5ブログ「本冊ウィズネーム」へ移す直前の繋ぎとして、2つのドラマの前提条件の違いなどを明らかにするものである。

【元々、映像化し易く、女性向けのミステリー・ドラマとして"足し算"が可能だった「Nのために」】
本ブログの記事中で触れた点を含めて、本来的にテレビドラマ化に適し、今どきのテレビ視聴者向けの素材として格好の「Nのために」の原作の特質について整理すると、以下のとおりである。

①湊かなえさんの原作が、文庫版で310ページに過ぎない短めの長編小説で、主要登場人物も6人と少なく、そのうちの犯行に関わった疑いのある4人の独白が主体で物語が進むことから、同じ作者の「白ゆき姫殺人事件」以上に映画化も含めた映像化がし易い特性を持つ。

②ミステリーといっても、伏線を複雑に張り巡らした本格ミステリーではなく、心理ミステリーの性格が強く、湊さんの作品の中で最もラブストーリーの色合いが濃い。

③登場人物に共通するバックグラウンドとなる場所が東京の安アパートであるなど、セット撮影に当たって大きな困難さはない。

こうした特質を生かしつつ、ドラマ化に当たって次のような、女性向けのドラマとしての改変を行うとともに、登場人物の追加やエピソードの補強など、一般的には映像化のハードルとなる、原作とは異なる"足し算"を容易に行うことができた。

①ドラマを牽引するミステリーとしての進行の面では、原作には登場しない年配の退職警官という狂言回し役のキャラクター・高野茂を追加し、演技派の俳優・三浦友和さんをキャスティングすることで、若手俳優の競演によるラブストーリーを引き締めることができた。

②そのラブストーリーの面では、原作では男性2人、女性2人であるのをドラマでは男性3人と女性1人とし、その唯一の女性キャラ・杉下希美の悲劇的なヒロインの性格を強調した。
 その上で、ヒロイン役にテレビ視聴者の好感度の高い榮倉奈々ちゃんを充てる一方、彼女と絡む友人3人の男性、成瀬慎司、安藤望、西崎真人の役には、いずれも新旧の朝ドラでのブレイク組である窪田正孝君(「花子とアン」)、賀来賢人君(同左)、小出恵介君(「梅ちゃん先生」)を起用した。
 今、10代以上の女性がこの3人のいずれかのファンである比率は相当高く、3人とも嫌いというのはゼロに近いのではないか。
 かく言う高齢者の仲間入りをしている男性である私も、前々からよく知っている小出君は別にして、今年ようやく注目した窪田君と賀来君の俳優としての将来性に期待している。

③これら男女4人が生活するアパート「野バラ荘」でのシーンが登場するのはこれからだが、原作の第2章でせいぜい20ページ足らずしか描かれてない高校生時代の杉下と成瀬が過ごした瀬戸内海の青景島のシーンについて、ドラマでは第1回と第2回の大半を充て、映画並みの瀬戸内海ロケを敢行して、2人に対する感情移入をし易くした。
 特に、島の高台の休憩所で2人が語らい合う様子をはじめ、高校の教室での思い出となる希美がボールペンを繰り返し押す合図や席替え、成瀬との将棋の譜面記事の遣り取り、さらには缶コーヒーといった原作の印象に残る小ネタもキッチリと取り込まれた。

第1話を観た私の唯一にして最大の懸念は、原作では「父親が愛人をつくって家に呼び入れ、追い出された母親と杉下と弟は三人で山の麓の小さな家で身を潜めるように住んでいる」(双葉文庫版p89)と書かれただけの希美の家庭に関する設定が、ドラマの第1話で大きくクローズアップされただけてなく、父親のあり得ない言動やそれに呼応した愛人の奇矯な振る舞い、さらには母親の偏執狂的な様子が、とても女性による脚本とは思えない過激さであったことで、引いてしまった視聴者がかなりいたのではないかと感じたことだ。

だが、家庭内の確執という設定は、近年の朝ドラでは「ごちそうさん」以降、繰り返し過剰気味に描かれて来た常套手段であり、むしろ視聴率アップの要因の1つになっていると思うだけに、私の心配は杞憂かもしれない。
おそらく脚本家の意図は、原作のような軽い描写では希美の強い上昇志向を視聴者に納得させることができず、結果として、計画的な殺人事件が起きる必然性が低くなると判断したのだろう。
それと連動して、スタッフたちも、希美や成瀬の閉塞感を育んだ瀬戸内海の島の風景をリアルに映し出す必要があると考えたのだろう。



【元々映像化し難く、本格ミステリー・ファンが納得するドラマとして"引き算"が課題だった「すべてがFになる」】
それに対して、ドラマ「すべてがFになる」の原作である森博嗣さんの「S&M」シリーズは、様々な意味で映像化が難しいと見られ、実際、シリーズ第1作である同名作品の出版が1996年であるので、20年近くも実現に至らなかったことになる。

具体的には、次のような問題があったと言える。

①「S&M」シリーズには10作もあり、それそれが、短いものでも「Nのために」の1.3倍、長いものでは倍以上もある長編ばかりで、1回の放送では処理できないほどの多くのエピソードが各作品に盛り込まれている。

②同時に、それぞれの作品の登場人物の数が多く、殺人現場やトリックの設定には複雑かつ大掛かりな仕掛けが講じられている。

③①と②の要素が相互に関連しており、それが謎解きのキーとなるだけでなく、作品の魅力になっている。

④探偵役が大学の工学部の師弟という設定のため論理的思考のウエイトが高く、文章で張り巡らされた伏線を映像化するリスクが大きい。
 例えば、第1エピソードの「冷たい密室と博士たち」の場合、ドラマだと登場人物たちの背の高さが一目で分かってしまったり、殺人現場にいない登場人物も簡単に把握できる。

⑤ラブストーリー的な雰囲気が希薄で、主要登場人物のキャラクター設定が普通の人には感情移入し難い要素がある。

これらの問題に対応するため、テレビ局のスタッフたちは、原作シリーズのすべてをドラマ化するのではなく、1作2回完結という初めての方式を採用したが、選ばれた5作が、残る5作よりもドラマ化に適しているのかの判断は容易ではない。

この点、第1エピソードを師弟探偵が所属する大学内での殺人事件である「冷たい密室と博士たち」としたのは、妥当な選択と言えるが、普通、導入部では主人公のキャラクター設定などを説明するのを、本作ではほとんど行わず、その代わりに第3エピソードで主人公となる真賀田四季がドラマ全編を支配する人物であるのを示唆するかのような、彼女の独壇場となる7分を超えるイントロで始まることにした。

その結果、綾野剛君が演じる主人公の1人である犀川創平が、凄い名探偵ぶりをいきなり発揮することになっただけでなく、原作では極地環境研究センター(極地研)の実験室内での懇親会で酔っ払ってしまう彼が、実験開始前の見学段階から殺人事件が起きることを予想しているような厳しい表情を見せたり、研究所のスタッフでさえ知らない故障している搬入室のシャッターをジッと見詰めるような過剰な伏線的なカットを挿入してしまったことが、本格ミステリーの妙味を薄味なものにしてしまった。

結果、本格ミステリーのドラマ化のキモは、トリックの視覚化が第1と割り切り過ぎ、キャラクターの深みやドラマの舞台の風土性を軽視した点が、「Nのために」との決定的な違いである。

さらにラブストーリーの点では、"女性1人"対"男性3人"である「Nのために」に対して、外形的には「すべてがFになる」も、"男性1人"(=犀川)対"女性3人"(西之園萌絵のほか、国枝桃子と真賀田四季)であるが、女優陣のキャスティングが前者の男優陣と比べて好感度や演技力で見劣りし、実質的に前者のような四角関係的な展開も期待できないことから、「花子とアン」のような"恋ばな"が好きな視聴者を惹きつける力は弱い。

一方、ドラマ化に当たって登場人物の数を減らすことは当然のことだが、極地研の関係者を17人から10人にまで減らした結果、そのうち被害者となった2人の院生を実験室の隣室で刺殺することが可能な人物が、3人しか残らないことが容易に分かる演出を行ったことは、文章表現とは違う映像表現の弱点を軽んじたミスである。

加えて次回の予告編では、容疑者となり得る残る3人のうち、原作では描かれたエピソードなどにより犯人ではあり得ない人物まで犀川が疑っている無理な演出を行うことを示しただけてなく、残る2人のうちの男性1人が殺されるネタバレまで行ってしまった。

これは、「Nのために」のような"足し算"ができないドラマにあって、"引き算"を的確に行うことがいかに難しいことかを端的に示したものであるが、実は、ドラマの公式サイトに収録されたキャスト・インタビュー(→リンクは、こちら)において、クランクイン前に原作を読んでいた綾野君が、本格ミステリーとしての森作品の本質について、次のような鋭い指摘をしていたのだ。

「何かひとつの要素をかくしてしまうと全部が狂ってしまう気がしていて、それをテレビドラマ2時間(1時間×2話)の枠にまとめるだけで大変だと思います」

また、前述の主人公のキャラクター性についても、「単にストーリーを前に進めるのではなく、キャラクターを前に進める」必要があると指摘している。

問題は、この基本的な視点をスタッフたちが共有し、様々な観点から対応策を検討することなく、企画・制作に当たったプロデューサーたちの思い込みだけで突っ走り、脚本家が原作のエピソードと登場人物に大ナタを振るう"引き算"を行うとともに、原作にはいないお笑いキャラの刑事たちを登場させる余分な"足し算"を行い、挙句、武井咲さんが演じるヒロイン萌絵に大学の学生食堂という多くの観察者がいる前で機密資料である捜査資料を見せるというあり得ない改変まで行ったことだ。

もちろん原作では、萌絵が、叔父である県警本部長の執務室に押し掛けて直談判し、自宅に捜査資料を持ち帰り、徹夜で読み通してパソコンで要約版を作成したという妥当な設定だった。
これは、エドガー・アラン・ポーの「盗まれた手紙」の有名なトリックに準じた「秘密の公然化」による盲点作戦のつもりかもしれないが、エピソードの省略によるハイスピードの展開の息抜きを狙ったのが実態であるとともに、萌絵の超高級マンションのセットを用意したくなかったのが本音ではないか。



【俳優のキャスティングの適否よりも、プロデューサーと脚本家の力量がドラマの成否を決定づける】
いずれにしても、綾野君は「ガッチャマン」や「ルパン三世」といった人気アニメ作品の実写版への出演に当たっても、オリジナルを超えることの難しさを指摘しており、成功すれば映画やドラマの新しい世界を切り拓くことができるという彼の理想は、三度潰えることになるのだろうか。

だが、「ガッチャマン」や「ルパン三世」と「すべてがFになる」や「Nのために」との間では決定的な違いがある。
それは、前2者のオリジナルは漫画やアニメといった映像作品であり、登場人物のイメージがファンの間では共通の姿として認識されているのに対して、後2者は小説という文章作品であることから、ファンの間でも共通のキャラクター・イメージはない。

加えて、キャラクター設定の変更もあるので、今回のドラマにおける俳優のキャスティングが自分のイメージと違うという批判は本来、控えるべき問題である。
さらに、その俳優が嫌いだから、ドラマの出来も悪いという主張に至っては、暴論の域を出ないと言わざるを得ない。

また演技力の問題も、脚本の設定だけでなく、ディレクターの演出に帰すべき面が強く、一概に俳優だけを責めるのは酷である。
仮に俳優自体に大きな問題があるとしたら、オーディションも含めて起用したプロデューサーが最終的に責任を負うべきである。

だから、同じ原作者のドラマである「夜行観覧車」でタッグを組み、原作者も信頼する映画とドラマの両方で実績のある脚本家を起用した「Nのために」との間で、「すべがFになる」の出来が格差を生じたとしたら、その責めもプロデューサーに帰すべきと私は総括したい。

【女性週刊誌もまた俳優たちのゴシップ・ネタを伝えるだけ】
今週発売の「週刊女性」(主婦と生活社)の11月4日号の特集記事「2014秋ドラマ舞台裏」では、「Nのために」については、「(榮倉さんは)最近はクールな役も多いですが、気性が激しい性格で、彼女の機嫌によって現場の雰囲気も変わりますね。そのためか、チュートリアルの徳井さん(注:刺殺される野口貴弘役)も今回の現場では静かです」という、芸能プロ関係者の意図的なネガティブ情報を伝えるだけだが、それが視聴率にマイナス影響を与える恐れは小さいだろう。

また「すべがFになる」に関しては、武井さんの今年主演した2本の連ドラの視聴率が良くなかったことには触れていないが、「武井さんは夏ドラマを過労でダウンしたこともあり、最近はドラマの撮影以外は仕事をセーブしているようですよ。それより事務所スタッフが注意しているのが共演の綾野剛さん。彼は女優たちにモテるひとでも知られているので、いつ武井さんと…なんて心配されているようです」と、例によって下種の勘繰りをヘアメイク担当者のコメントとして紹介している。

それに対して、今クールも各局のドラマを侵食するジャニーズ・タレントに対しては、押しなべて高評価のコメントを繰り返しているのは、雑誌の売上げに直結するからなのかも知れないが、大本営発表のようにすら感じて不気味だ。



【私の総括評価】
以上、2つのドラマの出来について様々な観点から比較分析を試みたが、原作を読んでいない、読むつもりのない読者は、自分がファンである俳優たちがドラマの中でリアルなキャラクターとして生きているかを注視しつつ、ドラマの展開に共感できるかで適正に評価して戴きたい。

私の場合、今晩の「Nのために」の第2回は、個人的な事情でリアルタイムで観ることができなかった。
だから、それぞれ第1回だけを観た結果としては、「Nのために」は原作を上回る出来のラブサスペンスになる可能性があるのに対して、「すべてがFになる」は全体としてのタイトルの意味の改変も含めて、本格ミステリーである原作とは別物のミステリータッチのドラマとして独自の世界を確立する可能性にまだ期待を残したいというのが総括的な評価である。

どのNがNの誰を愛したか?「Nのために」~NによるNのための解説記事を書くことにしたい…

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【私にとっての榮倉奈々ちゃんとショート・ドラマ「ラスト・シネマ」は、特別の存在】
第1ブログ・シネマナビでは、「井上真央スペシャル」というカテゴリーを設けて、井上真央ちゃんの人となりや出演作などについて、あれこれと記事を書いた。
シークレット・ブログ化した第5ブログ・ウィズネームでは、休業中の刈谷友衣子ちゃんをメイン・ターゲットの1人とした。

だが、この2人よりも先に好きになった若手女優が榮倉奈々ちゃんであるのに、彼女の出演作について書いたのは、第1ブログに掲載した「アントキノイノチ」(2011年)の解説記事くらいである。

自分が一番好きなことは、他の人にはあまり語りたくないという性格の私にとって、奈々ちゃんの出演ドラマで忘れらない作品になったのが、今年4月5日に「土曜プレミアム」枠で放送された「世にも奇妙な物語'14 春の特別編」のうちの1本、「ラスト・シネマ」だった。

このスペシャル・ドラマを毎回楽しみしているファンが少なくないと思うし、今回は第1エピソード「ニートな彼とキュートな彼女」に主演した玉森裕太さんとか、第3エピソードの「空想少女」で、「あまちゃん」以来のドラマ出演を果たした能年玲奈ちゃんを目当てで観たファンが多かったと思う。

客観的に見て、「空想少女」は、能年ちゃんの新たな魅力を見出せる内容ではなかったのに対して、同じく原作小説がある「ニートな…」の方はバーチャル・メイド役に木村文乃さんをキャスティングしたことでオチが読めるという瑕瑾はあったが、面白い内容のショート・ドラマに仕上がっており、玉森さんも適役だったと思う。

だが、榮倉奈々ちゃんがヒロインを演じたオリジナル・ドラマ「ラスト・シネマ」は、あらゆる意味で私が今年観たベスト・ドラマだった。
その具体的な理由は、個人的な問題を含むので、第5ブログで書くつもりである。

【10月クールの新ドラは、アルファベットの1文字がキーワード】
元々、ミステリー小説のファンである私にとって一番観たいドラマはミステリー系だが、いくら原作が良くても、脚色力に欠ける脚本家の手に掛って凡作に終わってしまうリスクが一番高いジャンルでもある。

7月クールでは、宮部みゆきさんの「ペテロの葬列」しか観なかったが、期待を持たせた第1話のバス・ジャック事件の出来に比して、第2話以降は、原作から改変した登場人物の言動や有名絵画に関する思わせぶりな演出が過剰であるとともに、視聴者を意図的にミスリードするきらいがあるため、第9話に至っても評価を保留している。

そして10月クールでは、人気ミステリー作家の小説を原作とする新ドラが2作、スタートするが、共にキーワードはアルファベットの1文字だ。。
1つはフジテレビ系での「すべてがFになる」(火曜日・夜9時~)であり、もう1つはTBS系の「Nのために」(金曜日・夜10時~)だ。
それぞれの主演が綾野剛君と榮倉奈々ちゃんとあっては観るほかないが、ドラマの出来に対して不安が高いのは前者である。

目新しいテーマのドラマが好きと言うか、軽いドラマが得意のフジテレビが、よりによってミステリー系の原作でも一番映像化が難しい新本格ミステリーの旗手・森博司さんの、いわゆる「S&M」シリーズ(主人公の探偵役2人のイニシャルから名付けたもの)に手を出すとは、ミステリー・ファンから見ると狂気の沙汰に近い。

月9「HERO」の続編ドラマが今や不可能領域になった20%超えを果たしたことで自信を回復したのか、近年、低迷が続くフジテレビが困難なドラマの制作にも成功し、すべての時間帯別視聴率(ゴールデンタイム(19時-22時)・プライムタイム(19時-23時)・全日(6時-24時))争いでトップに復帰し、「すべてがFujiになる」ことを企図した選択なのか、それともドラマの出来でも視聴率でも「すべてがFutsuになる」だけなのか。

こうした点も含めた「すべてがFになる」については、第5ブログで扱うことにするが、もう1つの「Nのために」は本ブログでフォローすることにしたい。

どらちも原作本を購入したが、まだ「Nのために」(双葉文庫・2014年8月刊)は読み始めておらず、結末を知らない状態で、原作とドラマの相違点を中心整理したい。



【映像化に適した湊かなえさんの小説】
質量共に圧倒する宮部みゆきさんや森博司さんの原作本と比べて、湊かなえさんの小説は長編でも程々の長さであり、ロジック重視よりも登場人物の心理描写のウエイトが高い点が、映画やドラマ向きだ。
人気作家の条件であるテーマの社会性などの面でも、デビュー長編作「告白」を筆頭に彼女の小説の映像化は話題になりやすい。

加えて、今年映画が公開された「白ゆき姫殺人事件」や本作のように、主な登場人物一人ひとりの語りにより物語が進み、それぞれの主張をすべて知る特権的立場にある読者が、彼らや彼女たちの言葉の中から矛盾点や嘘を見出しつつ真相に迫るという構成を得意としており、これは映画やドラマとの親和性が高い強みである。

そして、本作の場合、原作では冒頭、いきなり10年前の殺人事件がわずか3行に要約されて提示され、その現場にいた杉下希美をはじめ全員がイニシャルの頭にNの文字を頂く4人の供述調書が並べられるというスタイルで始まる。

それに対して、ドラマの第1回は、事件の先日譚となる15年前の出来事から始まり、5年後に関係者が集まった高級マンションで同じくNの文字を冠する夫婦が殺され、4人のNという名の関係者のうちの1人が、もう1人のNのことを想って自供し、10年の刑に服するという流れで展開するようだ。

このイントロの設定だけでもドラマは、原作を大きく脚色・改変しており、原作と同様、第2話以降において4人のNの視点から順次、過去が語られていくことによりドラマが進行するかどうかは分からないが、少なくとも2つの過去(15年前と10年前)と現在が往還・シンクロしながら展開していくことが原作との決定的な違いのようだ。

その場合、10年の刑に服したNが誰で、どのNを守ろうとしたのかは第1回で明らかになるが、関係者である他の2人のNだけでなく、殺された2人のNにとっても、自分以外のNに対する秘めた想いが隠されているというのが原作のミソである。

この点について湊さんは、「登場人物は皆、それぞれのNのために行動します。誰が誰のNなのか、こういう愛のかたちがあったのかと、たくさんの人たちが自分の大切な人を思い浮かべながら、この物語を楽しんでくださることを心より願っています」とのメッセージを、ドラマの視聴者たちに寄せている。(番組プレサイトによる)

さらに、「すべての謎を知ることができるのは、登場人物の誰でもなく、最初から最後まで見届けてくれた方のみです」という言葉で締めくくっているが、前述のように、神のような特権的立場にある視聴者こそ、登場人物の言葉や映像の演出でミスリードされ、一番混乱に陥り易い立場ということにもなる訳だ。

【大きく変えた登場人物などの設定】
原作では、10年前の4人のNたちの行動を中心に一人称の語りで進められるとともに、現在の自分がどうなのかが各章の最後で短く紹介されるだけのようだ。
それに対して、ドラマでは現在の部分にウエイトが置かれ、事件の真相を追う狂言回し的なキャラクターとして原作には出て来ない元警察官・ 高野茂を登場させ、三浦友和さんをキャスティングして脇を固めた。

またセレブである野口貴弘と奈央子の2人のN夫婦の殺人事件の発端となった15年前の出会いの場所も、原作の沖縄・石垣島から瀬戸内海の島に変更されている。(時間設定でも、原作では事件の5年前ではなく2年前。なお、ヒロインの出身地は、愛媛県の青景(あおかげ)村という瀬戸内海にある島の集落である。)

こうした改変に伴い、ヒロイン・杉下希美にキャスティングされた榮倉奈々ちゃんは、女子高生から32歳の大人の女性までを幅広く演じることになった。

また、10年前の殺人事件の直前、希美は知人である他の3人のN、すなわち成瀬(窪田正孝)、安藤(賀来賢人)、西崎(小出恵介)と“ある計画”を立てたことで現場に居合わせてしまうという設定も、原作どおりとは言えないようだ。

さらに何よりも、安藤が原作では女性であるのにドラマでは男性に変更された。
これは、安藤の名前が望で、他の2人の男性、成瀬や西崎と違って女性でも通用するということに脚本家が注目して、4人の事件関係者のうち希美独りを女性とすることによりヒロイン性を高めて、奈々ちゃんが単独主演のドラマという点を強調しようとしたのではないか。

そしてドラマの話題性を高めるため、朝ドラ(2008年の「瞳」)のヒロイン出身女優でもある奈々ちゃんを取り巻く3人の青年たちに、現在放送中の「花子とアン」で人気が大きく高まった窪田正孝さん(花子の幼馴染・朝市)と賀来賢人さん(花子の兄・吉太郎)、さらには「梅ちゃん先生」に出演した小出恵介さん(梅子の兄・竹夫)を起用するという「朝ドラ布陣」にしたのだろう。

彼らのキャラクター設定についても原作と異同があると思うが、今回は、希美や被害者となるセレブ夫妻も含めたNというイニシャルを持つ登場人物全員の名前と簡単なプロフィルを、以下にリストとして示しておきたい。
この中にもヒントが隠されている筈だ。

★成瀬慎司・shinji Naruse(窪田正孝)…希美の高校時代の同級生。原作では、事件当時、T大学経済学部4年生。希美とは高校3年生の時に同じクラスで、昨年、同窓会で再会。フレンチ・レストランでアルバイトをしており、出張サービスで訪れた被害者宅に希美がいたので驚く。それまで被害者とは面識がなかった。

★安藤望・Nozomi ando(賀来賢人)…希美と同じアパートで暮らし、野口貴弘と同じ商社に就職。原作では女性で、希美の1年年上の、かつて同じアパートに住んでいた。共に将棋とスキューバダイビングが趣味で、彼女の就職内定祝いで2人は石垣島へ旅行し、被害者と親しくなった。希美と同じ読み方(のぞみ)であることに意味があるのかどうか。

★西崎真人・masato Nishizaki(小出恵介)…野口夫妻殺害の事件後、自供し、殺人罪で服役。原作ではM大学の4年生だが、2年留年しているので、一番年長の24歳。希美の現在のアパートの隣の部屋に住む。このため、彼女の部屋を訪れた被害者の夫人と面識があった。

☆野口貴弘・takahiro Noguchiと奈央子・Naoko noguchi(キャスティング未公表)…被害者。希美たちと親交があった。原作では夫は資産家の息子で、大手総合商社・M商事に勤務し、妻は同社の重役の娘。2人の住まいは、52階の超高層マンション「スカイローズガーデン」の48階で、海外赴任を想定した仮住まい。

☆杉下希美・Nozomi sugishita(榮倉奈々)…原作では事件当時、22歳のK大学文学部の4年生。



【4人の女性スタッフたちが再びタッグを組むFによるFのためのドラマ】
前項で示したことで榮倉奈々ちゃんのヒロイン性が高められたことが窺えるが、今回のドラマには、同じTBSが昨年1月クールで連ドラ化した湊かなえさんの原作による「夜行観覧車」のプロデューサー・新井順子さんと脚本家・奥寺佐渡子さん(「八日目の蝉」(2011年)で2012年・第35回日本アカデミー賞の最優秀脚本賞を受賞した実力派。コミック版が「ビッグコミック・スペリオール」誌に連載中の12月20日公開の映画「バンクーバーの朝日」(今年の日本アカデミー賞最優秀監督賞の石井裕也監督の最新作)の脚本も手掛けている。)、演出家(ディレクター)・塚原あゆ子さん(ほかに、山本剛義さんも共同演出)が再び集結したこともポイントである。

要するに、湊さんにとって初のラブストーリー物という意味も含めて、女性(F)ばかりのスタッフとキャストによる女性視聴者(F)のためのドラマと言うことができる。

それに対して、この記事シリーズは、「N(ブログ運営者)によるN(主演女優)のために」書くことにしたい。

※ ドラマの基本設定や構成・登場人物などついて具体的に書いた<10月17日スタート!ドラマ「Nのために」~公式サイトにも未掲載の人物相関図のオリジナル版を作成・公開!>も併せてお読み下さい。→リンクは、こちら

本ブログのマスコットガール・胡桃のその後~天井に届く新猫タワーの最上階で見下ろす女王猫

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※ この記事は、「別冊ウィズネーム」の完全終結に伴い、同ブログに2014年7月31日付けで掲載した<「くるみとみるくの物語」主演・胡桃のその後①~天井に届く新猫タワーの最上階で安眠し見下ろす女王猫>のタイトルを変更し、最後の部分の追加を行うなど修正を加えて、移し替えたものである。
                                   ◇ ◇
近年、なぜ犬に比べて猫が人気があるのか?

その象徴が、本ブログの運営サイトであるgooブログの最強ブログが猫ブログであることや、7月クールの連続ドラマ「ペテロの葬列」(TBS系)でムロツヨシさんが演じている手島雄一郎が脱サラしてドッグカフェを経営しても、多分、失敗するのに対して、猫カフェが盛況であること、さらにはNHKのBSプレミアムで放送されている「岩合光昭の世界ネコ歩き」のファンの人が少なくないこと(5月末に新潮社が文庫化した「岩合光昭のネコ」を買っちゃいました!)、4,000円を超える豪華本である「世界で一番美しい猫の図鑑」(タムシン・ピッケラル著/エクスナレッジ刊)がベストセラーになるなど「猫本」の出版が相次いでいることであると言っていいだろう。

職場で上からの命令に対して、渋々、尻尾を振らないといけないことの反動で、せめて自宅では、我が道を往く猫に嫉妬を感じつつ、癒されたいというM的感覚も作用しているのかもしれない。
何より、人間や犬の場合は、自分の家の子供や飼い犬が一番可愛いと思うのに対して、猫に限っては、自分の飼い猫でなくても、可愛いとか面白いと感じることが、一番、作用しているのではないか?

我が家のように、長年、犬しか飼ったことがなかった者が猫を飼うようになり、その行動を見ていると、犬ではあり得ない生態に癒しと感嘆と驚きの連続である。
「猫を飼うのはどうも…」と、何となく避けてきた方は、騙されても構わないと思って一度試してみるといい。
大袈裟に言えば、人生の新たな展開となるだろう。

さらに内外の天才画家、例えばレオナルド・ダ・ヴィンチ、バルテュス、藤田嗣治などが猫の美しさを讃え、後2者は多くの作品中に登場させている。(ダ・ヴィンチには油彩画は遺されてないが、大英博物館に「猫の聖母子」の素描画があるし、ウィンザー城の王室図書館には同じく素描画である「猫百態」が所蔵されている。)
うちの息子も、雌猫を飼うようになって、ますます結婚する意欲を低下させ、稼いだお金を使うなら、人間よりも猫の雌の方がいいと言う始末である。

そんな我が家の女王は、猛暑の中でも空調の利いた部屋で快適な日々を過ごしている。
毎週末は、私と息子の2人掛かりで、耳と口の中の汚れを取り、背中やお腹の毛を梳く。
それでも自分の舌で毛繕いするので、時々、毛玉を吐いている。

生後数ヵ月から1歳になる少し前の昨年のバレンタインデイまでは、本ブログの顔として、「来未日記」のカテゴリーで彼女の成長の様子を書いてきた。
そこで久しぶりに、「別冊ウィズネーム」の「妄想オリジナル物語」の最新作において主演雌猫として登場させたことから、その後の彼女の最新の様子を見て戴くことにしたい。

「胡桃のビフォー&アフター①~猫タワーにいる様子で成長が分かるよ!」(→リンクは、こちら)で胡桃が猫タワーで遊ぶ様子を紹介したが、その旧・猫タワーが名古屋のテレビ塔なら、東京スカイツリー並みの新・猫タワーが7月初め、息子のマンションに導入された。



今度のタワーは、何と天井までの高さがあり、地震でも倒れないように、天井を押して固定するタイプである。(上の画像・CDプレイヤーの隣りには第1ブログのマスコット・愛犬・チロルの写真もあります。)
定価2万4千円のものがAmazonのネット通販により半額で購入できた。





いたくお気に入りのようで、昼間は最上階のハンモック状の袋の中で眠っている。(上の画像)
階段になるマットが5段あり、通常は2段目から飛び降りるが、好物の「クリープ」の瓶を手にしたら、一番上の5段目から一気ににダイブする。



部屋の中の温度によっては、隣りの壁際に置いてあるテレビの置き台を兼ねた大きな棚に5段目から飛び移り、空調の風の出口に触ったり、台の天辺で休憩したりしている。(上の画像・棚の中に見える赤いディスク面のCDは、福山雅治君の最新アルバム「HUMAN」である。他に「夏の終り」や「シャニダールの花」など、綾野剛君が出演した映画のDVDも入っている。)
この上から床に飛び降りることもできる身軽さだ。



寝袋の中で寝ている様子を撮影しようとケータイを近づけたら、猫パンチを繰り出した。(上の画像)
名前を呼ぶと尻尾を振ったりするのも可愛い。





眠たくなると恐い目になるが(上の画像)、この猫タワーの向かい側にあるテーブルの上にノートパソコンを置いて、私がブログの記事を書いていると、まるで彼女に監視されているような気分になる。
そして、餌の時間が近づくと、おもむろに降りて来て、私の足にスルッと体を擦りつけ、ミャア、ミャアと催促する。



ところで、猫の容姿の美しさ(特に横から見た曲線のフォルム)や孤高の性格に自分の理想の姿を見出す猫ファンの芸術家の1人が、イラストレーターとして一世を風靡した横尾忠則さんだ。
彼は朝日新聞の日曜版に掲載される「読書」欄の書評を担当しているが、この3ヵ月の間に2度も「猫本」を取り上げた。

その1冊が前出の「世界で一番美しい猫の図鑑」だが、11月23日の紙面で紹介したのが、「ネコ学入門—猫言語・幼猫体験・尿スプレー」(クレア・ベサント著/築地書館刊)であり、彼は猫という存在の本質について次のように要約している。(書評の全文は朝日新聞デジタルに掲載されている。→リンクは、こちら)

「猫をペットとして一方的な愛情を押しつけ、猫を私物化することであなたは猫の最も軽蔑すべき対象となり、追えば追うほど猫から無縁の存在になっていくのだ。猫が好む人間はむしろ猫に無関心。猫は独立、独歩、自立心が強いために余計なお世話には耐えられない。」

「人間は猫をしつけていると思っているが実は猫にちゃっかりとしつけられている。人間は猫を飼育しているつもりでいるが猫は飼い主を下僕扱いしているのである。猫は常に縄張り内で行動し、人間のように他人の縄張りを侵略したりしない。」

この含蓄の深い言葉のうち、前者における猫を男性ないしは夫、あなた・人間を女性または妻と置き換えたい。
一方、後者における猫を女性ないしは妻、人間を男性または夫に言い換えたい。
そう、猫は、男にとっても女にとっても、自分が理想とすべき最も美しい存在なのだ。



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